らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「みちでバッタリ」岡真史

 
 
 
みちでバッタリ
出会ったヨ
なにげなく
出会ったヨ
そして両方とも
知らんかおで
とおりすぎたヨ
でもぼくにとって
これは世の中が
ひっくりかえる
ことだヨ
あれから
なんべんも
この道を歩いたヨ
でももう一ども
会わなかったよ



詩集「ぼくは12歳」より


この作品は、岡真史という12歳の少年が作った詩です。

道で偶然出会ったのは、同級生の女の子か誰かなんでしょうか。
大人であれば、単なる偶然で片付けられて、
じきに忘れ去られてしまう些細な出来事かもしれませんが、
少年にとっては、とても新鮮で、
僕にとって、これは世の中がひっくり返るようなことだと、
偶然の出会いというものの驚きを心に刻んでいます。
そして、その驚きと新鮮さをもう一度味わおうと、
何べんも、その出会った道を歩きますが、
もう二度と会うことはありませんでした。


この詩は、少年のあどけない幼な恋のようなものを
感じ取るだけでは惜しい作品です。

出会いというものは、まさに岡少年が言うように、
本来、世の中がひっくり返るような驚きと新鮮さに満ちているものです。
しかし、大多数の人々は、それを、なにげに素通りしてしまうものです。
しかし、その出会いとは、岡少年も体験しているように、
もう二度と同じことが起こることのないものなのです。

出会いとは、もちろん、人もそうですが、人には限りません。
自然の美しさかもしれませんし、芸術作品かもしれません。
単なるたわいない自然の営みかもしれません。
関心の無い人にとっては、それは新鮮さも驚きもない、
それこそ素通りしてしまって、
あったか、無かったかという意識すらも残らないものかもしれません。
しかし、そこで通り過ぎてしまえば、二度と出会うことがないものなのです。

ですから、常に意識をもって、ふと、何か感じられるものがあったのなら、
その場で立ち止まり、
心を向けて遣るということを大切にしなければと感じます。
なぜなら、一度通り過ぎてしまったら、
偶然の、その素晴らしい出会いとは、
二度と出逢うことはできないのですから。

この作品は、単なる子供の情緒的な心情を表現しただけのものではありません。
意識してか、無意識なのかはわかりませんが、
人間のいとなみに深い洞察を感じ取って、言葉に表現している、
非凡な感性をもった、小さな素敵な詩人の作品だと、自分は思います。