らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「三国志」前編 吉川英治

 

 


今回は、吉川作品の中でも自分が最も愛読した「三国志」を取り上げます。 
自分と三国志の付き合いは、小学生高学年くらいからですから、もうかなりのものになります。


ちなみに漫画の横山光輝「三国志」は、この吉川英治の作品をベースにしたものです。
 



 
 

三国志の魅力とは何か。

それは百人百様色々なことを挙げる方がいらっしゃると思います。
あまたの豪傑知謀の士が己の能力を闘わせるところという方もおられるでしょう。
三国志の真の主人公は曹操だという人もいます。
颯爽と新しい時代を切り開いた、冷徹にしてクールなその姿に惹かれる方も多いと思います。

しかし、やはり三国志の主人公は、
劉備関羽張飛の三人の義兄弟であると自分は思います。

裏切り、陰謀などが渦巻き、離合集散が繰り返される乱れ切った世の中。
そんな時、若くして出会った三人の男達が数十年苦楽を共にし、
生涯を共に歩み続けた人生。

ご存知の通り、三人は順風満帆な歩みだったわけではありません。
戦っても戦っても認められなかった日々、
やっとのことで得た領土を乗っ取られ、流浪の身になってしまった日々、
強大な敵の攻撃により三人が散り散りになり、その生死すらもわからなかった日々、
全てを失いそれぞれの身一つで南に逃れ、雌伏する日々。
現代に例えれば、一つのカップ麺を三人で分け合ってすするような境遇は二度三度ではありません。

それほどまでに三人を結びつけていたものは何だったのでしょう。

乱れた秩序を回復し、世の中の人々を救いたいという志、
もっと言えば、そういう志を抱いているその人の、
心そのものに惹かれ、惚れ込んだのだと思います。

志を持って人に出会い、惹かれ、惚れ込み、共に生涯を歩んでゆく。
何と素晴らしいことなのでしょう。

それは乱世の闇を突き抜ける力であり、
今の人間に最も欠けている力です。
損したくない、失敗したくない、煩わしいことはしたくない、
自分の領域を侵されたくない。
人と出会っても内面まで深く立ち入ることはなく、
別れれば、もう二度と会うことはない淡白な人間関係。

確かに、そういうスタンスならば、
損もせず、失敗もなく、煩わしくもなく、自分が傷つくこともないでしょう。

しかしながら、現代において、人との関係は希薄、
過去には無頓着、未来に残すものはなく、
今その時を、かたつむりのように閉じ籠り、
その殻を守ってひたすら傷つかないように生きている。

寂しすぎます。

そのような生き方は結局、殻の中にひからびた死体がひとつ残るだけです。

ちょっとしたはずみで壊れてしまう人間関係、
人のミスを許さない必要以上の潔癖さ、
いいなと思っても、それ以上に深く入っていけない勇気の欠如、
懐に飛び込んで腹をくくれない軟弱さ。

よく生きるとは志を同じくする人と出会い、生涯共に歩み続けること。
成就するか否かは人知を超えたものがあり、問題ではありません。
そのような生きている充足感を味わっている現代人は何人いることでしょう。
 

それは松下村塾の吉田松陰とその塾生との関係においても、似たものを感じます。
彼らの交わりは僅か1年ないし2年ほどのものでしかありません。
しかし、何年つきあっていても、
単なる知り合いから一向に深まらない人間関係を続ける現代人からすれば、
彼らの1年2年は、現代人の10年20年にも勝(まさ)ります。

今の人生80年の長寿といわれて久しいですが、
一体彼ら達の何年分を生きてるのだろうかと、自分は思うことがあります。
 



 
 

吉川英治「三国志」
 
 
 
 
なお、この記事の後編として、
三国志に欠くべからざるもうひとりの英雄諸葛亮について
書いてみたいと思っています。