らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「鯉」斎藤茂吉

 

今年は歌人斎藤茂吉生誕130年ということだそうです。
それにちなんで横浜の神奈川近代文学館
「茂吉再生 生誕130年 斎藤茂吉展」が開かれています。

別に横浜に縁が深かったというわけではないようですけれどもね(^^;)

斎藤茂吉というと教科書にも出てきた

みちのくの
母のいのちを
一目見ん
一目みんとぞ
ただにいそげる   

のど赤き
玄鳥(つばくらめ)ふたつ
屋梁(はり)にゐて
足乳根の母は
死にたまふなり 

といった母をテーマとした短歌がまず思い浮かびます。

斎藤茂吉は明治15年現在の山形県上山市に生まれました。

アララギ派、即ち正岡子規の短歌論を信奉し「アララギ」に拠った歌人の集まり、
に属し、主なメンバーとしては「野菊の墓」の伊藤左千夫、島木赤彦、釈迢空
「土」の長塚節などが挙げられるようです。

彼らは、写実的、生活密着的歌風を特徴とし、
近代的人間の深層心理に迫り、知性的で分析的な解釈を重んじたとのこと。

確かに前二句にはそのような特徴が表れているような気がします。

しかし今回は彼の随筆を読んでみようと思います。
歌人俳人の随筆というのは、自然や人に対して目のつけどころが鋭く、面白いことが多いのです。

今回選んだのは五月にちなむ意味もあって「鯉」。

鯉は日本人にとって最も身近な魚のひとつです。
西洋人などは泥臭い川に住む魚くらいの認識で、
どうして広島カープのように、プロ野球球団のマスコットにまでなるのだと
不思議がる向きもあるようです。
日本では、竜門の滝を登り切った鯉は、化して竜になるという中国の故事に基づく
イメージが大きいんでしょうね。

茂吉の故郷は山形県の内陸部で、
かの昔、上杉鷹山米沢藩の改革で鯉の養殖を推奨していたことから、
その近隣でも盛んに養殖が行われていたのでしょう。

それにしても文章には80~150センチぐらいの鯉の話がぽんぽん出てきますが、さすがに大きい。

それらの鯉を、茂吉に関わる人々が買ってくれと持ち込んできたり、
法螺めいた話をしたりと鯉の話題に事欠きません。
茂吉自身も最上川のどこそこで捕れる鯉はうまいらしいなどと述べており、
この地方の人々の心に鯉という生き物が密接に寄り添っている様子が見て取れます。

ところで自分は鯉を食べたことがないんです。
純粋な川魚(海から遡上しない)で食べたことがあるのは、ニジマスとワカサギくらいでしょうか。
ニジマスなどは独特の川の泥臭さのようなものを感じてしまうことがありますが、
鯉も同じなんでしょうか。
茂吉は身が締まった鯉は美味だと言っていますけれども。
昔は海から遠い内陸部の人々は海の魚が手に入らなかったので、
頻繁に鯉などの川魚を食べたんでしょうね。


最後の茂吉の句

最上川
住む鯉のこと
常におもふ
あぎとふさまも
はやしづけきか


大まかには、冬になると鯉のあぎと(あご)がパクパクしなくなり、ひっそりとしてきて、
同じように人の心も静かに落ち着いてくるものだなあ
という感じだと思いますが、
いかにも写実的、生活密着的な歌風のアララギ派らしい、
鯉と人々の交わりを感じさせる茂吉らしい歌だと思いました。