らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「孫」斎藤茂吉

10年ほど前に大泉逸郎さんの「孫」という歌が大ヒットしました。
「なんでこんなに可愛いのかよ~♪」
という歌詞に、誰しも一度は聞き覚えがあると思いますが、
斎藤茂吉の随筆「孫」も、おおまかに言えば、ほぼ同じような内容です。

結論を出してしまったので、記事はここで終わりでもいいのですが(^^;)、
もうちょっと内容を紹介します。


この文章が書かれたのは戦後まもない昭和20年代。
戦前は数えで年を数えたものの、戦後は万国共通の数え方(現在の数え方)になり、
茂吉の孫でいえば5歳が3歳になってしまったため、非常に幼く感じるというようなことを書いています。
確かに大人でも、28歳と30歳、38歳と40歳では社会的責任的にいえば、やはりそれなりの差があり、
戦前の日本人が、今の同じ年代の者よりしっかりして、自律して見えるのは、
数え年により、自分の年齢を高く意識していたこともあるのかなとも思いました。

まあ、そういうわけで、今までより年少に感じるようになった孫は、余計にかわいいのですが、
今まで同居していなかった孫が、喜んで祖父の茂吉に近づいてくる。
それがまたかわいくて仕方ない。
昔、茂吉の息子が茂吉の兄に対しても同じことがあった。
この理由を茂吉は「血筋」かなと言っていますが、
もっと具体的にいえば、自分は、匂いかなと思ったりします。
人間五感で最初に発達するのは匂いですので、
祖父と孫、伯父と甥で、それぞれの父親と同じ匂いがしたのではないかと。
そういう意味で血筋というのはあっているのかも、
でも匂いが違うとそうでもないかも…と思います。

実は、これは姪っ子(弟の娘)における実体験に基づきます(^^;)

そのように自分を慕って近寄ってくる孫がどうしてかわいいのか、自分にもわからないと、
和歌の大家茂吉をもってしても、言わせしめます。
強いていえば
「吉士が佳女の声に心牽かれるやうなものかも知れん」
と言っています。
真面目な?男が美女の声に思わず引き寄せられる、くらいの意味だと思うのですが、
それよりは下心がないような気がしますね(^^;)

独りで食事をするのを好む茂吉の背にかじりついて、2人の孫が代わる代わる食べ物を要求する。
「可愛い孫の所做がこんなにうるさいのだから、私はよほど孤独の食事が好きと見える」
と言っている茂吉の顔が、思わずにやけてしまっているのが目に浮かびます(^_^;)

最後に、
孫が幾つぐらいのとき、私はこの世から去らねばならないだろうか。
しかし彼らはまだ、大人のやうに強い悲しみが無いので、ある意味、気が楽だ。
というような寂しいことを言ったりしています。

さらに茂吉は
「孫どもはかういふ老翁の死などには悲歎することなく、蜜柑一つ奪はれたよりも感じないのである」
などと少々ネガティブ気味に言っています。

しかし、これは孫の立場を経験している自分に言わせると、ちょっと違うかも。
子供、まあ小学生くらいまでの子供というのは、人間の死というものに今まで接したことがないので、
それにどう反応してよいかわからないのです。
初めて見た息を引き取った人間が、祖父や祖母というのは世の人の中には、
結構多いのではないかと思います。

自分も非常にかわいがってくれた母方の祖父が10歳の時に亡くなりました
(祖母は4歳の時でしたのて記憶がほとんどありません)。

初めて見る息を引き取った人間。
少々口が半開きで、寝息が聞こえてくるような…でもやはり何かが違う。
亡骸が安置されている部屋のお線香の匂いと相まって、
初めて体験する、どこか居心地の悪い感覚。
そういった人間の死というものの存在を初めて教えてくれるのが、
自分をかわいがってくれた祖父や祖母だったりするんです。

自分もそうですが、その記憶は大人になっても鮮明に覚えているものなのです。

文中に出てくるお孫さんが8歳と6歳の時、茂吉はこの世を去りました。
おそらく彼らも自分と同じようなことを、
自分達をかわいがってくれた祖父茂吉の死から感じ取ったであろうと思います。


われの背に
ゐるをさな児が
吃逆(しゃくり)せり
世の賢きも
するがごとくに


茂吉も根っからの爺バカですね(^^;)