らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「最上川」斎藤茂吉


ふるさと

兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと



斎藤茂吉にとって、ふるさとの川とは、最上川のことをさすようです。

この作品は、茂吉が13歳の時、小学校の先生に引率され、
同級生の友達数人と最上川を下る旅に出た時を回想した話です。

茂吉は15歳で、故郷を離れ上京してしまったため、本人曰わく、
ただ懐しい川として心中に残るのみとのことですが、
子供の頃に離れてしまったからこそ、
なおさら懐かしい思い出として心に残るような気がします。

茂吉ら一行は、最上川をひたすら下流へと下って行きます。

川幅は次第に広くなってゆき、
見るもの全て、川の上流の山国の少年達が初めて見るものばかり。

それは少年達が人生を歩んでいく過程で、
次第に広い世界を知ってゆく姿と重なりあう部分があります。

道すがらの宿の夕食で、最上川で採れた鮎を食べ、
そのうまさを少年同士お互いに語り合う。
仲間と一緒の旅の楽しい思い出です。

そして茂吉らは、ついに最上川が海に入るところを目にします。
海自体、この時生まれて初めて茂吉は目にしています。

昔は交通も貧弱ですし、旅行というものも一般化していませんので、
かなり大きくなってから初めて海を見るということは、
珍しくなかったのかもしれません。

茂吉は、その時の気持ちを

「漫々といはうか、縹茫といはうか、少年はそんな形容詞は知らなかつたけれども、
何か正体の知れぬものを目前に見たのであつた」

と綴っています。

自分は、物心ついた時にはもう海は身近に存在していたことから、
残念ながら一番最初に見た印象を覚えてないんです。
そういう思い出がないというのは、逆に不幸のような気もしますね。

茂吉は海に太陽が沈む様子についても、
芭蕉が、奥の細道で詠んだ

あつき日を
海に入れたり
最上川

を引用して、かなり興奮気味に語っています。

その場面は「アルプスの少女ハイジ」で
真っ赤な夕日に照り返る雄大なアルプスの山々を見て
「山が燃えている」と思わず叫んだ
ハイジの気持ちに近いものがあるかもしれません。


それにしても芭蕉はその他にも

五月雨を
あつめてはやし
最上川

という俳句も詠んでいますが、
最上川という川は、どこか詩情あふれるところがあるのでしょうか。

歌人斎藤茂吉を育んだのは、この故郷の山河であったのかもしれません。

その夜、引率の先生は、少年を皆寝かして置いて、
別の部屋で美人の女中と酒を飲んだと、茂吉は書いています。
その翌朝、「昨夜は酒を飲んだけど、みんな、それを日記に書いちゃダメだぞ」
と上機嫌で、少年達に口止めしたのは、
おおらかな古き良き時代を感じさせます。

しかし茂吉がこの作品を書いたがために、後世に、先生の行状が知れ渡ってしまったのは、
ちょっと笑ってしまうような、気の毒のような(^^;)

でもわんぱく盛りの少年達を、無事に引率してきたのですから、
美人の女中のお酌で、美味しいお酒くらい飲みたいですよね。
わかります。自分も男ですから(^_^;)


最後に、斎藤茂吉最上川のようなものは、自分にとって何だろうと、考えるんですが、
名古屋の市街地で生まれ育ったので、
意外に思い浮かばないんです(-.-;)

伊吹山御嶽山は遠くに見えましたが、ふるさとの山というと遠すぎますし、
庄内川という川もあるにはありますが、
子供の頃、川は近づいてはいけない危ない場所だったんですよね(^_^;)

街並み…というものは、山河に比べ、移りゆき、変わりゆくもののため、
今ひとつ、しっくりこないものがあります。

強いて言えば、ふるさとのにおいでしょうか。
どんなにおい?と聞かれても、なかなか答え難いのですが、
ふるさとのにおいに触れると、なんとなく心地良いような、
そんな気持ちになることは確かです。