らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「燕と王子」有島武郎

「燕と王子」という題名を見ただけでぴんときた人もいらっしゃるかもしれません。
これはオスカー・ワイルドの「幸福な王子(The Happy Prince)」を翻訳したものです。
作家の翻訳ものは翻訳家の翻訳と違って、
やはりより文学的香りがほのかに漂う素晴らしいものがあります。
森鴎外の翻訳ものとかそんな感じがします。
文学史的には坪内逍遥シェークスピアなどが有名ですね。

では有島武郎のものはどうか?
これはいろいろな意味で問題作です(^_^;)

ご存知の方も多いと思いますが、
「幸福な王子」は金箔と宝石にちりばめられた王子像が、
燕に頼んで様々な苦労や悲しみにある人々のために、
自分の体を構成する金箔やら宝石やらを分け与え、
最期に王子と燕は死に至るキリスト教的博愛に満ちた自己犠牲の物語です。

原作と異なり有島版王子は燕に対して少々居丈高です。
燕の「私を呼んだのはあなたですか」の問いに
「いかにも私だ。実はおまえに少し頼みたい事がある」などと燕に言ったりしてます。
日本の若殿?の感覚からして、あまりフレンドリーなのは似つかわしくないと思ったのでしょうか。

あと王子が宝石などを与える町の人も、
有島版ではオリジナルの若い武士などが登場します。
宝石を貰った若い武士は「これで結婚をして人一倍の忠義ができる。」などという台詞を吐いています。

やがて町に秋が来て冬が近づいてくると、
いよいよ来るべきものが来るのかと、王子と燕の死を予感し、読んでいて暗い気持ちになってきます。
霜もおりる冬が間近に迫ったある日、有島版王子は燕に言います。
「おまえが今年死ねばおまえと私の会えるのは今年限り。
今日ナイルに帰ってまた来年おいで。そうすれば来年またここで会えるから」
燕だけでも生かそうとする王子の泣かせる台詞です。

ところが、ここでなんとなんと、燕は、それもそうだと納得して
仲間の待つ南の方へと旅立っていってしまうのです(^_^;)

フランダースの犬に例えれば、
「もう眠いんだ」とルーベンスの絵の前でうつ伏したネロとパトラッシュのうち、
パトラッシュだけ朝ひょっこりと目覚めるがごとき、まさかの予想外の展開。

それに対し町に独り残った王子は原作より、かなり悲惨な目に遭います。
町の人から
「生きてるうちにこの王子は悪い事をしたにちがいない。だからこそ死んだあとでこのざまになるんだ」
と言われた挙げ句、
縄とハシゴを持って来て、王子の首にかけ、みんなで寄ってたかってえいえい引っぱった結果、
王子の立像は無惨にも礎(いしずえ)を離れ、転び落ちてしまいます。
立像でこんなひどい目に遭うのは、
イラクフセイン大統領か有島版王子のいずれかしか見たことがありません。

しかも像を倒された後、しばらく野晒しのままにされます。
ずっと野晒しでもなんなので、王子の立像で鐘を造ってお寺の二階に収める事にします。
それからというもの寺の高い塔の上から澄んだすずしい鐘の音が町中に響きわたるのでした。
めでたしめでたし。

って…どこがめでたいんじゃい!と思わずツッコミを入れたくなるような結末。
何かテレビで、とんでも話として取り上げられてもおかしくないレベルです(^_^;)

一応有島武郎の弁護のために申しますと、
これは彼が甥っ子の病気見舞いとして書き送ったものだそうです。
ベッドで寝ている子どもに父親が読んで聞かせるような感じで、
思いつくままさらさらっと書いたものなのでしょうか。

不特定多数の読者を予定している文学作品と異なり、
きちんと推敲したうえで発表していないと思われるので、
普段は見ることがない有島武郎の発想みたいなものが垣間見えて、
そういう意味では面白い部分があると思いました。