らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「怖い仏教」平野純 前編


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平野純さん「怖い仏教」読みました。
日本で仏教といえば葬式仏教。
しかし仏陀があの世について積極的に語った事は実は一度も無い。
では誰が仏教の名であの世を語ったのか?

仏陀本来の教えとは?
それにわかりやすく答えてくれます。

「神々に懇願し、祈れば死んだあとに平安な世界などにゆけるなどという話は、根も葉もない作り話にすぎない。」

平野純「怖い仏教」より

 

この言葉を仏陀が言ったとするなら、彼は超現実主義者であったと感じます。
仏陀の言葉をまとめたブログ記事と併せて読んでみて下さい。

https://motanmozo.hatenablog.com/entry/2013/04/08/205916

 


本書は仏陀の時代の教団に性の禁句に関する戒律が数多くあったと指摘します。
仏陀が超現実主義者であるとするなら、
その時代のインドは性的乱れが著しく、人々の人生が無軌道な性的エネルギーに削がれており、
とにかくまずそれを止めねば話にならないと感じたのではないか。 

 


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本書を読むと仏陀の教団は性の戒律に極めて厳格です。
では、仮に釈迦が別の世界に舞い降りたとしたら、やはり厳格な禁欲主義を貫いたでしょうか。
仏陀が冷徹な現実主義者である事からすれば、舞い降りた世界が欲するものを見抜き、それに最も適した教えを施すと自分は思います。

 

 
本の帯に「ブッダと弟子たちはなぜ美女の死体を朝から晩まで見続けたか」とありますが、別に性的倒錯者だったわけじゃない。

乱れた性風俗の社会で性的欲求を抑えるにはそれが端的に有効だった。
過食症の人に汚いトイレで1日過ごさせて食欲を削ぐイメージ。


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墓場で腐り朽ちていく美女の死体を見て、性的欲求など人生において一時なもの。それを追い求めても行き着くところはこんなところ。
それよりも意味のあるものに目を向けなければならない。
臭いも相当なものだったはず。
でもかなり有効だったのでは。
やはり仏陀は実践者だと感じます。

 

後編に続く