らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「きけ わだつみのこえ」日本戦没学生の手記



本日8月15日は66回目の終戦記念日

最近原爆忌やら終戦記念日が惰性で、年中行事化してしまっている風潮があります。
それに抗して日にちをずらして記事を書こうとも思いましたが、
やはり本日は戦没された方全員の御霊を鎮魂できる唯一の日であると思い、この記事を書きました。

今回紹介するのは「きけわだつみのこえ」。
青空文庫所蔵ではありませんが今回は特別に紹介します。

この本は太平洋戦争で戦没した学生の遺書やら遺稿やらを集めたもので、
70人余りの手記が収められています。
ちなみに「わだつみ」とは海の神の古語。
太平洋戦争で散った若い命に敬意を表してつけられたものです。

死に臨んで自己の人生を振り返り、記したものは、
その人間の人生観が凝縮され、偽りのない姿が現れていることが少なくありません。

この「きけ わだつみのこえ」も同じで、そこには軍国主義に洗脳された狂信者の姿はありません。
ほとんどが理性的で、親思い兄弟思い友達思いの優しい青年達なのです。
彼らは最後の遺書の中ですら家族や友人のことを気遣い、
自己の運命の不幸を呪うものはほとんどおりません。

むしろ自由を享受し物にあふれ、戦時と比べあらゆる可能性が試せる現代の方が、
自己の運命の不幸を呪っている人間が多いのではないかとすら感じます。

そして彼らの手記には自分の読んだ本の感想が頻繁に出てきます。
そのジャンルは多岐に渡り、聖書から哲学書、小説、詩集、
はたまた大学の専門だった数学から物理の本にまで及びます。

明日をもしれぬ命であるのに、なぜ本を読むのか。
彼らは今まで接してきた本を紐解くにより、
自分自身とは何だったのか真剣に対峙しようとしていたに違いありません。

子曰く「朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」(論語
彼らはこの言葉の体現者なのです。

そして彼らはそれぞれ愛読書を読んで、
学問は世の中に範を示しリードすべき存在なのに、
世の風潮に迎合し、学問自らの姿を折り曲げている当時の世相を憂いています。

今の世の中、ここまで純粋に学問に接している人間がどれだけいるでしょうか。

なおこの「きけ わだつみのこえ」について、
戦争を美化する軍国主義的なものとして批判する向きもあります。

しかし死んでいった彼らが生き残る者達に最後に託したメッセージを、
軍国主義の遺物として全てを葬ってしまうことを、絶対にすべきではありません。
多分に仏教的な考えかもしれませんが、
彼らと今の自分達の命はつながっており、
今の都合に悪いからという理由で断ち切れるものではありません。
それを平気で断ち切れる人間は、理由をつけて、
今生きている人間を平気で断ち切ってしまう人なのかもしれません。


また今の平和の世の弛緩を憂い、
軍国主義的な「規律」めいたものを復活させようという向きもありますが、
これもよくよく慎重にしなければと思います。
間違っても彼らが命を落とした時代に逆戻りするようなことがあってはなりません。
万が一逆戻りすることは、
延々と同じ責め苦が繰り返される地獄の世界を、この世にも作ることに他なりません。

彼らは、今の人々に、自分の楽しいことをし、美味しいものを食べ、大いに恋愛し、
大いにバカをやって自由を享受して欲しいと言っていると思います。
ただそのような自由を享受したうえで、自ら自己を律し、
みんなが幸せに生きられる世界を模索して欲しいと願っていたのだと思います。
それは彼らが果たし得なかったことであり、
今生きている自分達が成し得なければならないものなのではないでしょうか。

皆さんも彼らに会いたいと思ったら、是非この本を読んでいただけたらと思います。
そして彼らが愛読した本を読んでから接すれば、
一層親しみをこめて彼らは迎えてくれるものと思います。