【閑話休題】お盆に考える あの世は果たしてあるか
今年もお盆がやってきました。
お盆とは、あの世から亡くなった人がこの世に戻ってくることですが、
特定の宗教宗派にかかわらず、広く日本人の世俗的習俗的行為として受け入れられているものです。
それでは、ここでお盆でもう一度考えてみる。
果たしてあの世はあるのか。
日本仏教的には広くあの世というものは考えられてきました。
特に地獄についてはバリエーションに富んでいまして、
針の山、血の池、地獄の業火に焼かれるなどなど。
これが日本人の一般的なあの世のイメージというところですが、
日本仏教では、この世で善行を行わねば、あの世で地獄に落ちる。
という戒めめいたところが多分にあります。
あの世で地獄に落ちるかもしれないという恐怖を利用して、この世で悪行を為させないといいますか。
それが証拠に、地獄のビジョンに比べ、
極楽のビジョンは、アバウトと言いますか、それほど明快なものではありません。
ただし本来の仏教というのは、あの世の存在について述べていません 。
仏教が宗教ではなく哲学と言われる所以がここにあります。
キリスト教社会で最もメジャーなあの世というのは、ダンテの「神曲」地獄篇でしょう。
実は以前 地獄編の全てについて記事に書いたことがあります。
神の道に背いて悪行なしたものは地獄に落ちる。
その地獄のバリエーションがとてもユニークで、
中世ヨーロッパの文化的背景が垣間見え興味深いのですが、
地獄に落ちる理由としては日本仏教とほぼ同じといえます。
これらは一般的なあの世観といえますが、
あの世についてユニークな持論を展開する人もいます。
18世紀の科学者であり、神学者、思想家でもあるスウェーデンボルグという人物。
実は夏目漱石の「こころ」にもこのスウェーデンボルグは登場します。
「私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。
ところが彼は海のものとも山のものとも見分みわけの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。
彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。
もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼せまっている頃ころでしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。
その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。」
スウェーデンボルグの語る地獄とは、神の懲罰により落とされるものではなく、自分自らがそこに望んで行くものというもの。
詳しくはこの記事を読んでいただければと思います。
では自分はあの世をどう考えるか。
長くなりましたので後編にて。
自分の家系は父方は曹洞宗の僧侶、母の弟は プロテスタントの牧師という特異な環境にありますが、
その中で自分が考えたことや感じたことを書いてみたいと思います。
現代風の精霊馬。
このナスのスポーツカーだとあっという間に帰って行ってしまいそうです(^_^;)
ウイングもありますしね(笑)