「古代への情熱」シュリーマン その1
ハインリッヒ・シュリーマンと言うと、
当時伝説上の存在であったトロイの遺跡を掘り当てた人物として、
まずもって名を知られていますが、
もう一つの顔として、英語、オランダ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、ギリシャ語など十数ヵ国の語学に精通した人物として知られています。
その習得についての勉強法がこの本に詳細に記されており、
今でも語学をマスターしようとする人々に対し、様々なサジェスチョンを与えるものとなっています。
彼の人生はトロイ発掘そのものを語らずとも十分興味を持って読むに足りるドラマティックな出来事に満ちており、
今回はそれについて紹介しようと思います。
彼はドイツの牧師の家庭に生まれ、子供の頃から牧師である父親から、ラテン語を教わったり、古代史に関する本に接したり、
相当の教養を育(はぐく)む環境下にありました。
そんな彼が、8歳のクリスマスの時、父からプレゼントされた本がトロイ滅亡を描いた本がきっかけで、
父親は、これはおとぎ話だと言って取り合わなかったそうですが、
シュリーマンはトロイは本当に存在し今は土の中に埋もれているのだと確信したそうです。
シュリーマンが見たトロイ滅亡のシーンの挿し絵
イェラー「子どものための世界史」
これを偶然と言ってしまうのは簡単なことですが、
幼い頃に抱いたその強い確信を人生において貫いたというのは、
ある種の啓示だったと言ってもよいのではないかと感じます。
シュリーマンは近所の幽霊が出ると噂された池に銀の小皿が沈んでいるという伝説を聞いて、
どうして大人たちはその銀の皿を探しに行こうとしないのか?と不思議に思ったという逸話もあるので、
幼い頃からそういう物への好奇心と行動力に満ちたした人だったんですね 。
しかし、彼の人生は9歳の時に母親が亡くなったことから暗転します。
詳しくは書いてありませんが、父親のスキャンダルから、知人との交際を絶たれ、家庭は困窮し、
彼は中学の年頃で、日本で言えば丁稚奉公に出ざるを得なくなります。
彼曰く、そこでは朝の5時から夜の11時まで働きづめで自分の時間がなく、勉強する時間を取ることができなかった。
この生活が5年間続きました。
そんな彼にさらなる不幸が襲います。重すぎる樽を持ち上げたために胸を痛め喀血。
仕事をクビになり、同じような職を転々としますが、
どの勤め口も一週間もたたないうちにクビに。
彼はほぼ無一文となり、日々の糧を得るため、船のボーイ、つまりは船の住み込みのような仕事につきますが、
船は座礁し、彼はかろうじて救命ボートに乗り、命からがらオランダのアムステルダムにたどり着きます。
かろうじて命を拾ったシュリーマンは、悪いこと続きの故郷ドイツに帰ることを拒み、オランダで生計をたてることを志します。
そこで給料は安いが、自分の時間が取れる職につきます。それは銀行に行って小切手を現金に換えてくるというようないわゆるを使い的な仕事だったので、
自分の時間は十分にとることができました。
そこでシュリーマンは家賃のきわめて安い屋根裏部屋に住居を構えながら、給料の半分を語学の勉強に費やします。
ここが偉いと思うんですよね。
当時はヨーロッパのあちこちで戦争は起こって、いわゆる経済が動く時代でしたから、
人々の心は現代の日本よりも進取の気質があると言いますか、積極的動くことに関して躊躇はなかったとも言えますが、
まず自分自身に投資すること、スキルを高めることに目を向けたことは本当に素晴らしいと思います。
普通ならば、ある程度お金を貯めてから、何をやるかきめようと考えがちですが、
それでは時を逸してしまうこともあります。
彼は長年学校からも遠ざかっており、記憶力もかなり退化していたと、自分で言っていますが、
試行錯誤の末、短期間で語学を習得する方法を編み出したと述べています。
その方法がこちらです。
1.非常に多く音読すること
2.決して翻訳しないこと
3.毎日1時間を勉強にあてること
4.つねに興味のある対象について作文を書くこと、これを教師の指導により添削してもらうこと
5.前日添削されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること
箇条書きにしたものを並べただけではピンとこないところもあるでしょう。
このひとつひとつには自身の詳細なエピソードが記されていまして、
自宅の4階建の屋根裏部屋で大きな声で音読 していたところ、
オランダの家屋は壁が薄いこともあり、その声が大きすぎて1階の住人から苦情が来た(笑)などなど。
この勉強法については他の記事でまた述べてみたいいと思います。
とにもかくにも、シュリーマンはこの方法で 半年で英語を習得。
それでは彼にとって習得とは何か?
その言葉で商取引の手紙を書いたり、会話でやり取りをしたり、必要な情報を得たりすること。
つまり彼は学者になるのが目的ではありませんから、それで十分だったわけです。
頻度の低い無意味な文法や単語の暗記に時間を割くことのない実践的なものといえます。
彼の言葉に文法の間違いがあると指摘されたとしたら、
シュリーマンは、自分が読んだその言語の物語にこういう風に使ってあると指摘して論破することができると述べています。
つまりは分厚い文法書、学術書といった類いを自分の語学修得に使用しなかったわけで、きわめて実践的なものだったわけです。
シュリーマンは勉強するにつれ、記憶力がどんどん高まっていき、フランス語は3ヶ月、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語をに至っては6週間で習得するに至ったとのことです。
これは母国語がヨーロッパのドイツ語ということを差引いても凄いことです。
その後シュリーマンはロシアに定住し、ロシア語を習得して、そこで商人としての基台を作り上げるわけですが、
シュリーマンの若い頃の生き方を見て思うのは、
常に具体的な目的に向かって必要だと思うことを過不足なくやっていること。
まず語学の勉強について、ヨーロッパを巡って商売をするという目的から、その国の人とやり取りをしたり、手紙を書いたりすることができることでよしとし、
難解な文法や単語や語法、今でいえばテストの傾向対策のようなことに手を出しませんでした。
これは現代でも言えると思うんです。
目的なくして学ぼうとすれば、どんどん難解な文法や単語など頻度の低いマニアックな事柄にはまり込んでいってしまう。
語学の学者になるならそれも良いでしょうが、
自分も英語とベトナム語の勉強を始めたばかりですが、
日本人の英語の目標と言うと、TOEIC で何点取るとか、英検一級を取るとかそういうことが多いわけです。
試験というのは満遍なく全ての範囲を網羅しており、いわゆる苦手な分野というものは作ってはならず、
良い点を取ろうとするなら、穴を作らないような勉強しなければならない。
これは結構大変なことです。
留学などそういうテストの点が基準点となりますので致し方ないところもありますが、
そうでなければ色々とやりようの余地があるのではないかとも思います。
そしてシュリーマンでもう一つ感心したのは、
彼の最終目標は幻と言われていたトロイを発掘するということでしたから、
そのルートとしては、何某かの大学に進み、考古学を学んでその道の権威となり、パトロンを見つけなどして発掘するという手もあったはずですが、
彼はそれを選びませんでした。選べませんでしたという方が正確かもしれません。
それは家が没落して選択する余地がなかったことによりますが、
それを嘆くことなく、自分のでき得る道を見出した。
そして一財産を成した後もその築いた財産に執着することはありませんでした。
シュリーマンは色々と転職を繰り返して最後は自分で商売をするようになったわけですが、 目的は全くブレていません。
まず語学を習得するために自分の時間を確保できるところに就職し、そして次にはその語学を活かして商売ができるところというように機を見るに敏で、
現代の人々を見ていますと、何かここでやりたいというわけじゃないけれども、とりあえずここにいようというように目的が定まらず、
ダラダラと無用に長居し自分を活かしきれていないのではないかとも感じます。
目的をしっかりと定め、それに最も沿うように常に行動する。
私たちはそれができているでしょうか?
なんとなく日銭を稼ぐためそこに居続け、とりあえず様子を見る。
「なんとなく」「とりあえず」そういうことが多いようにも思います。
シュリーマンの行動はそういう事が一切なく全て目的論的に結論付けられているのです。
こういうところが、冒頭で、彼の人生のメインにあるはずのトロイ発掘を語らなくとも、
見るべきものがあると申しましたが、こういう所以です。