【映画】シェーン
最近、自分は英語の勉強をしておりまして、その一環として洋画なども見たりするようにしています。
今回見たのは往年の名作「シェーン」。
しかしながら英語学習としては少々不適な作品でして、
まず主人公が無口(笑)
というか西部の荒くれ男って、分詞構文や関係代名詞などでつなげて長々と喋らないんですよ。
短く用件を述べて、銃を抜け!という世界ですから(^_^;)
しかしながら、映画の作品としては非常に素晴らしいもので、
今回その思いを新たにしました。
1953年製作ですから、昭和28年ですか。
70年近く前の作品ながら、いまだに古さを感じさせないんです。
あらすじとしては、ふらりと流れてきた流れ者のシェーンが、
西部開拓で農業を営む家族と出会い、日々を共にするようになり、
彼らを敵視し、土地から追い出そうと目論見む牧場主と対立するというストーリーですが、
改めて大人になって見ますと、
南北戦争後、西部開拓を促進するため、5年で農地の所有権を取得するという法律から大量の農民が流入。
先に牧畜放牧をしていた人々と対立を引き起こしたという構図でして、
相手の牧場主側も必ずしも悪ではない。 彼らなりの言い分はあるんですね。
しかし、物語は、開拓農民たちが、ヤクザのショバを荒らしたとして嫌がらせを受け、挙げ句、殺されたりする感じなわけです。
物語が進むにつれ、徐々にその緊迫感が高まっていくわけですが、
それとは裏腹に、シェーンと家族との交流が素朴で穏やかで優しく、とても心温かくなります。
それもひとえに、穏やかで優しげないい男であるシェーン演じるアラン・ラッドと、
無邪気で幼気(いたいけ)なジョーイ少年のキャラクターが大きいと言えるでしょう。
その中で、父親との男同士の友情、母親との微妙で、はかない恋模様など、
西部の荒くれの土地争いのギスギスしたせめぎ合いから解き放たれ、
見ていて思わず心が潤います。
そういうコントラストが、この映画は非常に上手いんです。
そんな中で農民の仲間の1人が殺され、最後の対決のシーンに繋がっていくわけですが、
この映画、ストーリーはシンプルなんですが、テンポが非常に良いんですね。
小説で言えば読ませるといいますか。
そして最後の決闘となるわけですが、
呼び出された父親が行けば、確実に殺され、土地を奪われ家族は追い出されてしまう。
そこでシェーンが悪党が待ち受ける酒場に一人立ち向かうのですが、
この決闘シーン、シンプルながら、手に汗握る非常に迫力あるシーンとなっています。
台詞は少ないんですけれども、登場人物の表情やしぐさの一挙手一投足に、その感情、心理描写が如実に投影されており、
時間にすればわずか数分のシーンなんですが、非常に見せるといいますか、長く感じるんですね。
そして激しい決闘の末、シェーンはそのまま静かに一人町を去っていきます。
母親とのほのかな恋心、父親との男同士の友情、自分を慕ってくれるジョーイへの愛情、
シェーンが大切に思ってきたこれらの想いが、
すべて自分がこの場を去ることで守られて完結する。
せつなすぎます。
ラストシーンのジョーイの「Shane!come back!」という叫びを背に受けながらシェーンは去っていくわけですが、
映画史上でも非常に有名なこのシーン、
ジョーイ少年の叫びは、映画を見ている人たちの願いでもあるのでしょう。
いつしかジョーイに感情移入している自分に気づきます。
しかし半分は大人の心で、自分が大好きな大切なものを壊さないために、立ち去っていくという切なさ。
それも同時に感じるわけです。
それらの感情が入り混じって余韻を残しながら物語は終わります。
なお、最後のシーンでシェーンは直後に死んだのではないかという事が盛んに論議されています。
決闘で血が流れるほどの深手を負っていること、
最後にシェーンが振り向いたところが墓地であり、死を暗示しているのではないか。というのが根拠のようですが、
しかし、シェーンが直後に死のうが死ぬまいが、どうでもいいことではないかと感じます。
なぜならジョーイ少年は、もう二度とシェーンと会うことはないのですから。
シェーンの、自分の父と母に対する態度、一人で立ち向かっていった最後の決闘のシーンなど、
全てを自分の目で見ていたジョーイ少年は、シェーンの心を受け継ぎ、必ずや立派な西部の男に成長することでしょう。
そういうその後を暗示させる物語の広がりを感じさせるんです。
それで十分じゃないですか。
チャンバラ映画にありがちな、単純な義侠心を満たしてくれる作品とは一味違う、
人と人とのやさしいつながりの大切さ、その心を守ること、そして受け継ぐとはどういうことか。
この作品は、それを教えてくれる永遠の名作であると思います。