らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】28 円谷幸吉 中編

 
続きです。

川端康成は「円谷幸吉選手の遺書」の中で次のように述べています。
「繰り返される「おいしゅうございました」といふありきたりの言葉が、
じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。
美しくて、まことで、かなしいひびきだ。」
「ひとえに率直で清らかである。
おのれの文章をかへりみ、恥ぢ、いたむのは勿論ながら、それから自身を問責し絶望する。」
「売文家の私はここに文章の真実と可能性を見えたことはまことであった。」

まずもって、遺書を美文として大絶賛しているといえるでしょう。
その清々しさ、美しさに率直に驚くとともに、
このような文章に遭遇した喜びが、にじみ出てしまっているところもあります。
円谷選手の不幸な死への配慮という面からは、いささか興奮しすぎのようにすら感じますが、
それは文学者として、美文に出逢った時の性(さが)みたいなものかもしれません。

三島由紀夫は「円谷二尉の自刃」の中で、
「傷つきやすい雄雄しい美しい自尊心による自殺……
この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、
敗北と規定したりする生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい。」
と述べています。

三島は円谷選手の遺書から、川端康成と同じような心情を汲み取りつつも、
その文章の題名を「自刃」としていることから伺えるように、
彼独自の美意識から独特の崇高な意義を見い出しています。
そして、同時に、興味本位で無責任な世間の勝手な想像を厳しく批判しています。

野坂昭如は、
「何という、すざましい呪いであるかと受け取った。
いわれなき重圧を背負わされ、疲れ果てたあげくの悲鳴というのか。
「ありがとうございました。」「美味しゅうございました。」のくどくどしいくり返しが、
生者調伏(生きているものを呪い殺す)呪文のごとき印象を感じる。」

と、前の2人とは打って変わって全く異なる印象を述べています。
野坂は円谷選手の遺書を通して、
彼を取り巻く人々及び社会といったものを批判し、
かつ痛烈に皮肉っているように、自分的には感じられます。

論者がそれぞれの思い入れを含んで、それぞれに述べているため、
同じ文章でもこれほど見方が異なるというのも、非常に興味深いところです。

が、しかし、ただひとつだけ確かに言えることは、円谷選手は孤独だった。
彼の心に寄り添うものはなく、孤独で独りぼっちだったということです。
そして、彼は必死に孤独と正気で対峙していた。
独りぼっちで懸命に戦っていたというべきかもしれません。

孤独は人間を死に至らしめる恐ろしいものです。
やがて彼は孤独な戦いの中で自らの矢玉が尽き、遂に力尽きてしまった。
自分はこのように感じます。

人間とは心に寄り添うものを得ることで、心の糧を受け、生き続けてゆけるものです。
円谷選手には結婚を約束した女性がいましたが、
オリンピックに専念するため、周囲の圧力で破談となってしまい、
正月に帰省した時に、その女性が別の男性と結婚した話を聞いて、
それが最後の一押しになったのだとも言われています。

ただ、心に寄り添うものは、生きた人間ばかりには限りません。
自分が好きなこと、例えば走ることでも、心に寄り添うものとなり得ます。

が、しかし、円谷選手の場合、本来好きだったはずの走ることすらも、
彼を追い詰め、孤独に追いやるものとなってしまった。
彼にとって走るということは、オリンピックでメダルを取るための道具となり下がってしまっていた、
すなわち、走ること自体が、彼の目的でなく、
走ることでメダルを取ることが目的になってしまっていた。

ですから、走っても走ってもメダルから遠ざかってゆく状況下では、
走れば走るほど彼自身の孤独と苦悩が増してゆくことになり、
本当に苦しかったろうだろと思います。
走ることが、こんなに苦しいのかと何度も思ったに違いありません。

そして、全てを捨て切ってオリンピックに専心しており、
彼の孤独と苦悩に寄り添ってくれるものは、他には何も無かった。



実は、この円谷選手の死に衝撃を受けた、もうひとりの人がいます。
その人は、おそらく皆さんもご存知の方だと思います。
後編は、その人物が円谷選手の死を無駄にしないために、
その愛弟子ともに、世に明らかにしてきたことを紹介して、
記事を終わりにしたいと思っています。


http://www.youtube.com/watch?v=eGglDhqVaC0
画像は、もともとは金メダリストのアベベ選手に焦点を合わせたものですが、
4分45秒から8分45秒辺りまで、東京オリンピック男子マラソンの様子が描かれており、
円谷選手力走の様子も見ることができます。