【美術】特別展 三国志5 その他
今回は今までのカテゴリーでお話できなかった展示物について紹介します。
まずは当時の宝飾品。
金製獣文帯金具(鮮卑頭)
いわゆる着物の帯留めです。
現代でいえば男性でいえば、ベルトのバックルのようなものかもしれません。
鮮卑族は三国時代、今のモンゴルあたりに勢力を張っていた遊牧民族で、
非常に細かい装飾を施しており、高度な金属加工の技術を必要としたでしょう。
曹丕がこよなく愛用したとのことですが、
すでに当時この技術は廃れつつあったようです。
なお、白玉(はくぎょく)で作ったものもあります。
白玉獣文鮮卑頭
今の男性のオシャレで身につけるものといいますと、時計くらいでしょうが、
ベルトのバックルをオシャレに着飾るとい
うのも、
なかなか斬新かもしれません(笑)
仏坐像
三国時代、既に仏教は中国に来ていました。
三蔵法師がインドに旅する500年前のことです。
陳舜臣「秘本三国志」には、死を間際にした曹操が、
仏教に思いを馳せる描写があります。
仏教の火葬の風習の方が、土葬でじわじわ腐っていくより、
さっぱりとしていて良いではないか。
というような、この世への執着ということと絡めた描写だったと記憶しています。
騎象俑
象も三国時代すでに中国に来ていました。
その大きさに、初めて見た人はびっくりしたことでしょう。
象については、三国志で、ちょっと有名な逸話があります。
ある時、孫権から象が献上されてきました。
曹操はその重さを臣下らに訊ねましたが、誰一人答えられません。
その時、5歳だった曹操の息子曹沖は、
「象を船に乗せれば、その重さで船が沈むので、
その船の水面の所に印をつけ、象を下ろし、
同じ高さになるまで重しを乗せて、その重さを量ればよいではないか。」
と答え、その利発さは曹操を喜ばせたのでした。
残念ながら、曹冲は13歳で早世しました。
鋤(すき)
犁(からすき)
元々鉄と塩は国の専売事業であり、
鉄製農具も国から直接支給されていたそうですが、
その原則が崩れ、それぞれの地方で広く鉄製農具が製造されるようになると、
各地の豪族が台頭するきっかけとなったという解説を読んで、
へぇーと思いました。
歴史が変化するという事は、 一人の傑出した人物が現れるというよりも、
そのような長いスパンの社会状況の変化により、現れるものだと感じました。
人面文瓦 呉の健業より出土
屋根につけた魔除け的意味合いのものですが、
見た瞬間、ある物にそっくりだと思いました。
ローマの真実の口。似てません?(^_^;)
真実の口、6世紀に作られたそうなので、
意外と? 年代が近いですね。
最後に、
「晋平呉天下大平」の煉瓦
晋が呉を平らげ天下太平となったの意
数多くの英雄豪傑が中国全土を駆け巡った三国時代が、
水が平らかになるようにこの一枚の小さな板きれに収まった感があり、
非常に感慨深いものがありました。
次回、特別展 三国志、最後の記事となります。
横山光輝三国志と人形劇三国志について書きます。