らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【美術】特別展 三国志3 金印と銅鏡

 

三国志の時代、というと日本では卑弥呼の邪馬台国の時代に当たります。
今回の特別展 三国志では当時倭国と言われた日本にゆかりの深い物も展示されていました。

魏志倭人伝は次のように言います。

 

今、汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を授ける。
(中略)
また、特に汝に紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を下賜す。
帰着したならば記録して受け取り、
ことごとく、汝の国中の人に示し、
我が国が汝をいとおしんでいることを周知すべし。
そのために鄭重に汝の好物を下賜すべし。

 

 

このように邪馬台国の卑弥呼は、魏の皇帝から
親魏倭王の金印と銅鏡100枚を賜ったと記されています。


今回、展示してあった曹休の印。

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曹休は曹操の一族で、大変活躍した人物です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E4%BC%91

青銅製で、意外に地味な実務印みたいな感じではありましたが、
本品は三国志に登場する人物唯一の印とのことで、
実際本人が使っていたであろう大変貴重なものです。

 


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右:関内侯印 金印

亀をかたどったつまみをもつ金製の印。
関内侯は皇帝、王、列侯に次ぐ高い身分であり、

三国志でいえば、蜀の黄忠、魏の夏侯惇、夏侯淵の息子が関内侯といえば、
その地位の高さがわかるでしょうか。
曹休の実務的な感じの印よりも、
授けた皇帝の権威や偉容の象徴というようなものを感じさせます。


左:魏帰義氐侯 金印


魏に服属してきた周辺の部族に対して侯の身分を与えたもの。
氐とは当時中国の西方にいた民族。

 

邪馬台国の卑弥呼は親魏倭「王」ですから、
氐の「侯」よりもさらに一段上の扱いを受けたということになります。
ということは親魏倭王の金印は、これら2つの侯の金印よりも、
デラックスで光輝いていたはずだと推測できます。

 


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卑弥呼の時代を遡ること200年前、
後漢の光武帝が倭の奴国の王に与えた漢委奴国王印

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0

印のつまみの部分は蛇。


福岡に行った時に買ったレプリカです。

自分の数少ない集め物の宝物のひとつです(笑)

 

 


このような有難い権威ある印を、中国の皇帝が授けてくれたおかげで、
我が国は二千年経った今でも大した印鑑文化です(笑)
役所で印鑑登録なる制度があり、きちんと陰影が押されなかった捺印は無効となり、
契約の効力にすら影響を及ぼす。
日本人は、律儀というか、もらったものを大事にするというか(^_^;)
ちょっとミステリーな民族であるには違いありません。

 

次に今回展示されていた青銅鏡です。

 


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三段式神仙鏡
三国時代蜀から出土

 


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獣文鏡
三国時代魏から出土

 


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こちら日本で出土した三角縁獣文帯四神四獣鏡。

卑弥呼が魏の皇帝から賜った鏡という説がありますが、
三角縁獣文帯四神四獣の絵柄は日本でしか出土しておらず、
日本国内で作られたものではないかという意見も有力です。

魏からもたらされた鏡であれば、もちろんそれは大発見ですが、
日本国内で作られたとしても、銅の高度な加工という中国の最先端技術を真似て自分のものとし、
国内に大量に流布させた技術力は、端倪すべからざるところがあります。

実はこの銅鏡、具体的にどういう目的で作られたかは謎なんです。

おそらく一時期で廃れてしまったところを見ると、
権威的祭祀的な流行りものといいますか、
そんな側面が強かったのではないかとも感じます。

 


そして最後に、今回の展示物で日本と深い縁を感じさせるものとしてこちら。


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この形を見て、日本人ならハッと思い出すのはこれでしょう。


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そう、前方後円墳。
こちら、今の中国東北部の遼東半島で出土される炉だそうです。
(ただし土製のものは副葬品で実用としては金属製)
足をつけて中に炭を入れるものですが、
中国の中心部では長方形の型がほとんどで、
このような前方後円型はこの地方独特のものだそうです。
遼東半島とは日本と地理的にも近く交流が深かった土地柄。
この遼東地方独特の形がめぐりめぐって前方後円墳までたどり着いたのか?
こちらもちょっと偶然では片付けられない 古代ミステリーには違いありません。
皆さんはどのようにお考えになりますでしょうか。

 

 

次回の記事は、
三国志の英傑たちの墓の意外な副葬品について書きます。