らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【美術】特別展 三国志2 兵器

 

三国志の逸話は山のようにあっても、 出土物は極めて少ないと言われるこの時代。
リアル三国志を求めて
特別展 三国志に行ってきました。
https://t.co/L7OP84lvUb

前回の記事で予告した、古代然とした風俗の中で、
ひときわ合理的だった技術とは何か?

やはり目を引いたのが武器の類でした。

 


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蛇矛

張飛も使用したかもしれないといわれる蛇矛。

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この矛の形は単なる遊びではありません。
相手を突いた時、その傷口をなるべく広く複雑にすることにより、
ダメージを大きく与える。
敵に確実に致命なダメージを与えるためのアイデアです。

 


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魏の合肥新城から発掘された、戦で使用された
投石器や城壁から落とされたであろう石。

ソフトボール大ぐらいの大きさ。
兜を装着していても当たれば衝撃を受け、相当なダメージを与えることができただろうと思います。

もっと大きければさらに大きなダメージが与えられるのではないか?
と考えるかもしれませんが、
投げる方としてはこれくらいの大きさの方が負担がないし連投できる。
持ち運びもスムーズな大きさ。
かつ確実な打撃を敵に与えることができる。
非常に合理的なサイズだと感じます。
当時の戦いのシビアさが伺われます。

 


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撒菱(まきびし)

今で言う地雷のようなもので、敵の進撃を遅らせるため地面に設置したもの。
定軍山で発掘された三国時代のものと推定される。

定軍山といえば三国志ファンなら誰でも、おおっと思うことでしょう。
曹操と劉備の漢中争奪戦で要となった激戦地。
劉備の武将黄忠に魏の夏侯淵は討ち取られ、
漢中の地は劉備の支配下となりました。
なお、諸葛亮の墓もここに定められたとされています。

撒菱の突起部分は3cmぐらい。
敵に見つかりにくいし、撒きやすい、
かつ相手にダメージを与えることができる。
足に踏んだら確実に貫通するでしょう。
大量に持ち運びするに易く、相手に決定的なダメージを与えることができる。
小さいながらも非常に合理的なアイテムだと思います。

 


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弩(ど)
ボウガンの形の弓。
この形の方が弓を操る者が自ら弓を固定しなくていいので、
経験の浅い兵でも扱うことができたでしょう。
しかし、なぜ弩が日本で普及しなかったのか?
ちなみに横山光輝三国志では日本式の指で 戦いを描写しています。

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自分が思うに中国では平原における騎馬隊との戦いや船VS船の水上戦、
騎馬のスピードや離れた船と船との戦いでは速射できる強い弓の存在が必要であった。
しかしながら、日本は山がちで、
広い平原で騎馬戦を展開するということはさほどないし、
大きな船を操る水上戦というのもあまりない。
日本の戦国末期大きく兵馬を展開する時代になった時には、
すでに鉄砲が入ってきており、
弓はそれ以上の形で進化することはなかったのではないか。そのように思います。

 


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発掘された様々な種類の鏃。
戦い方に応じて使い分けたのでしょう。

 


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弩のトリガーの部分。
三国時代から千数百年後に現れた鉄砲と比べても遜色はありません。
構造はなるべく簡単な操作で威力のある発射ができるようになっており、
非常に精巧で機械仕掛けの精密な感じに正直驚きました。

とても前回の素朴な俑(土人形)の朗らかな表情からは想像できない世界です。

 


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鉤鑲(こうじょう)

盾の一種。
今の我々にはなじみがないので、
どういう風に使うんだろうというわけですが、
こんな風に使います 。


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https://youtu.be/8h-OpT5LFD8

 

鉤鑲で当時相手の主要な武器であった戟を絡め取り、
もう一本の手で持っていた剣で相手を倒す。

 


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展示されていた戟

なんと曹丕が鉤鑲の使い手であったとか。
自由自在に鉤鑲を操っている姿を想像すると、
曹丕のイメージがちょっと変わりますね。

 

 


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儀仗俑

三国時代凉州の墳墓で発見された。
埋葬されていたのは張という姓の将軍で、凉州軍閥の有力者であることは確実。董卓との関連が伺われるとのこと。
ひょっとして魏の名将張遼とも関連があるのかもと思いました。

 


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馬の造形がリアルで躍動感があります。
馬の尻尾が逆立っていて、勇ましく闊歩する様子が目に見えるようです。

 


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戦車の車輪も非常に大きいですね。
かなりの速度で走ったことでしょう。
推定によると、30km / hくらいのスピードが出ていたのではとのことです。


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こちらは前方から自分が撮った写真。
今にもこちらに突進してきそうな勢いがありますでしょ。

模型ですらそれを感じるのですから、本物の騎馬部隊の突進は、
それを待ち受ける歩兵にとっては、非常に恐怖であり、
圧迫感や重圧感は半端ではなかったでしょう。

 

 

次回は金印と銅鏡について書く予告です。