らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ノートルダム・ド・パリ」ノートルダム大聖堂 ユーゴー











作品の前書きを読みますと、
この作品を書くきっかけとなった出来事が書いてあります。

ノートルダム大聖堂の薄暗い壁に、何か文字が刻んであるのを認めたユーゴーは、
近寄って確かめてみますと、
ギリシア語で「ΑΝΑΓΚΗ 」すなわち、宿命と書いてあった。
中世に書かれたと思われるこの古い刻み、
一体誰が、どんな目的で刻んだのか。
文字の形やたたずまいにみられるゴチックの筆法に特有ななんともいえぬ風格、
ことにその文字が表している悲痛で不吉な意味、
こうしたものに激しく胸を打たれたそうで、
この古い聖堂に、罪悪か不幸かを表すこのような烙印を残さずには
この世を去っていけなかったほどの苦しみを味わったのは、
いったいどんな人間だったのだろうか、とユーゴーは想像を巡らせ、
この物語を書くに至ったそうです。

単行本1000ページにもわたる長編のこの作品、
登場人物も、大聖堂の鐘つきのせむし男に、ジプシーの美女、厳格な司祭、イケメン軍人、

そしてパリの民衆と雑多にわたっており、
大聖堂の壁に小さく刻まれた「宿命」という、
通常の人間ならば、そのまま素通りしてしまうような小さな欠片のようなものから、
何百何千という人々が息づく物語の世界を生み出した、
ちょっとした宇宙のビッグバンみたいな広がりの感覚を感じさせ、
ユーゴーという文学者の表現の力量に驚きを隠せません。

もうひとつ自分が感心するのは、この作品が私小説ではないということ。
私小説というのは、自分の生活や人生の体験を作品の題材として描いたものですが 、
現代は私小説全盛で、芥川賞を取るような作品にもよく見られるものです。
そういう私小説の類というのは、世界観が内に籠ると言いますか、
まあ、それはそれでひとつの世界には違いないのですが、
ダイナミックに世界が広がっていく感があまり無いんです。


それに対し、ユーゴーの 「ノートルダム・ド・パリ」は、
まるでパリの街がパノラマで空からぐるっと見渡すような広がりが感じられ、
多数の登場人物も、それぞれがそれぞれの個性をもって息づいており、
例えて言うなら、自分の気に入った色だけを使うのではなく、
使える絵の具の色全て使って表現している世界というイメージで、
パワフルかつダイナミック、そして繊細、かつ多彩で普遍的なんです。

この作品を読んで、ユーゴーが世界的文学者と言われる理由が、ちょっとわかったような気がします。


さて、この物語の舞台となったノートルダム大聖堂
舞台というよりは、ノートルダム大聖堂自体が登場人物と言ってもいいかもしれません。

実は自分は学生時代にパリを旅行し、ノートルダム大聖堂を見に行ったことがあります。

残念ながら、「宿命」と言う文字を見つけることはできませんでしたが(笑)

しかし、フランス人のガイドの方から、これだけはしっかりと見ておいて欲しいと言われたものがあります。
それはこちらのステンドグラス。










ミュージカル「ノートルダムの鐘」の舞台にも、
ノートルダム大聖堂の象徴として登場するものですが、






このステンドグラスは大聖堂が建てられた中世の頃からあるものだそうです。
ステンドグラスというのは不思議なもので、
現代の精錬したガラス工芸の技術ですと、ガラスの品質が均一で、

光が綺麗に入り過ぎてしまうそうです。

しかし、中世に作られたステンドグラスは技術的に精錬されていないので、
ガラスの中に空気や異物が混入し、ガラス自体としては出来が良いとは言えないのですが、
ガラスの中の空気や異物が微妙に光をいい具合に反射して、
中に入ってくる光は、直線的でなく、ゆらゆらと降り注ぐ感じといいますか、
大聖堂に集う人々に対して、あたかも意思を持った光のように降り注ぐようにも見え、
実際に見た自分も、ステンドグラスからの光は、神の慈悲とでも言いましょうか、

頭に降りてくる光に優しくつつまれているような、

そんな雰囲気を感じたものです。

ユーゴーも、本文を割いてノートルダム大聖堂について述べていますが 、
中世では教会の建物自体が、キリスト教とはどういうものであるか民衆に教える対象であったそうです。
それが、グーテンベルク活版印刷の発明によって、
信仰とは何かを教え示すものは、建築から文字に変わった。
よって、これからの世の中はノートルダム大聖堂のように、
そのものが思想を表すような建築物は次第になくなっていくだろう。

と独特の建築観を述べており、
これだけでも非常に面白い読み物となっています。

確かに、古代中世は、それぞれの文化宗教に基づいて様々な建築物がありましたが、
現代を象徴する建築物は、日本でもアメリカでもヨーロッパでも中国でも同じような高層タワービルで、
個性のあるものは昔の焼き直しに過ぎません。

そのような中世からの信仰を象徴するそのものとして、
ノートルダム大聖堂はパリの人々を見つめてきたわけですが、
この物語も大聖堂を舞台に、ある時は建物が意思を持った生き物のように、

登場人物に関わりを持ってくるわけです。

これから不定期ではありますが、この物語の主要な人物である

せむし男のカジモド、 ジプシーの美女エスメラルダ、司祭補助のフロローについて
それぞれ書いてみたいと思います。







カジモドの友達
ノートルダム大聖堂の石像