らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「秋は淋しい」素木しづ





すっかり秋も深まってきました。
今回はそれにふさわしい題名の作品を。



この作品は明治時代に生きた女流作家素木しづによるものです。
素木しづについて、ご存知の方はあまりいらっしゃらないと思うのですが、
彼女の略歴を紹介しますと、

明治28年、札幌に生まれる。
高等女学校卒業後、結核性関節炎が悪化し右足を切断。
大正2年森田草平門下に入り、『松葉杖をつく女』『三十三の死』を発表。
新進女流作家としての地位を築く。
大正4年、画家の上野山清貢と結婚し、年末子供をもうける。
大正7年、肺結核のため死去。享年24歳。



将来を嘱望された女流作家だったにも関わらず 、
残念なことに、20代半ばで亡くなられています。
10代で結核性関節炎で右足を切断している事から、
病と戦い続けた人生だったのでしょう。

さて、この作品、素木しづが将来を嘱望された作家だったことがわかるような気がします。
ある秋の日、幼い子どもが病院から退院してきた若い夫婦の1日を描いた物語。
非常に豊かな語彙で文章を表現しており、作品に厚みを感じます。

「窓からは、毎日のやうに釣台で運ばれて来る病人が見えた。
病人の顔は黄色くなった木の葉のやうにみんな力ない。
けれども空はいつも晴れてゐた。
窓のそばには、大きな桜の木が一本、庭一ぱいに枝をひろげてゐた。
しかしその大きな桜の葉は、もはや黄ばみかけてゐた。
そして、いつとなく一つ一つ土の上に落ちてゐるのであらう。
土の上には隅々に落葉がかさなってゐて、朝子が瞳を閉ぢて静かに耳をすますと、
どこからともなく、カサカサとかすかな落葉の音がした。」

これはヴィクトル・ユーゴーノートルダム・ド・パリでも感じたことですが、
事象を彩る言葉がとても豊富に重ねられており、
物語に奥行きと厚みを増し、読み手に読ませるものとなっています。
ある意味、小説を書く者にとってのお手本のような作品。

まだまだ20代前半ですから、
登場人物の情感の深みがやや乏しいかなと思わないではないのですが、
その淡々とした描写が、淡い秋の日の光と重なって、
作品のタイトルと合っているようにも感じます。

薄くて淡い秋の日が冬になってさらに薄くなってゆく。
そのイメージが、病弱な妻の命そのものを暗示しているかのようにも感じ取れます。



さて、物語は画家の卵である夫が、病院から一時帰宅した小さな幼子や病弱の妻にかまけて、
なかなか絵に集中できない。
その僅かな時間の中でも夫にできるだけ絵に集中して欲しいという
初々しい若い病弱の妻の心情がよく表れています 。

なんということはない秋の日の若い夫婦の 一日を描いた作品ですが、
不思議な味わいのある作品です。

略歴を見ていただければ分かると思いますが、
素木しづの夫は、画家上野山清貢であり、
この作品は、素木しづの私小説的性格を持っています。
ですからこの作品の妻の心情は、素木しづの心情を投影したものと言えるのかもしれません。

なお、妻が心配していた画家の夫ですが、

妻が死んで10年ほど経って帝展に入選。
その後連続して入選を重ね、日本でもひとかどの画家となり、
名を知られるようになりました。
そして、妻である素木しづが亡くなって40年後、
昭和35年71歳で亡くなりました。

こちらがその作品です。







魚の静物というテーマ。
ある意味、この「秋は淋しい」同様、
なんということはない日常の風景をテーマとするものですが、
なかなか深みのある味わいある作品のように思います。



青空文庫「秋は淋しい」素木しづ