らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2018】3 ひぐらしは時と鳴けども





ひぐらし
時と鳴けども
恋しくに
たわやめ我は
定まらず泣く



詠み人知らず


ひぐらし
夏の終わりに時を定めて盛んに鳴くけれど
あなたが恋しくて
弱い私は
時を定めずいつも泣いてばかりいる




ひぐらしの鳴き声というのは独特の物悲しさがあります。
夏が過ぎ去るのを惜しむような、命の終わりを惜しむような、

そんな感じからでしょうか。
万葉の時代からひぐらしは歌われてきました。


今回の歌、自分は今まで、

結ばれない恋を思って、いつまでもメソメソしている軟弱な歌だと思っていました。

しかし最近、この歌に触れて、その見方が少し変わりました。

愛した人のことを思って、いつまでも泣き続けることができるなんて、
なんて感情豊かで、生きるエネルギーに満ちている人なんだろう。



この世の中で、喜怒哀楽をはっきり表すことができるのは人間だけです。
しかしながら現代の文明の高度化ゆえんなのでしょうか。
世の中は、感情をあらわにする事は、はしたないという傾向にあります。
それはそれで表面上はすましていても、心の中で喜怒哀楽がちゃんとあれば良いのですが、
そういうわけでもなく、無感動であり、無関心。

特に喜怒哀楽の哀の感情。
現代人は、自分の心にちょっとでも傷がついたり、汚れがつくことを嫌います。
なるべく自分の心が傷つかないように、
人間関係の深入りを避け、差し障りのない付き合いに終始する。
そんな感じもします。


ちょっと前に、ある漫画で、「命は粗末に扱わなければならない。」
というセリフが物議を醸したことがあります。

命は大切にしなければならないのに、その真逆なことを言っているわけですから、
一体何を言っているのかということですが、
キレイな傷のない形で命を残しておいても 何の価値もありはしない。
何かに挑んで喜怒哀楽を尽くして、使い倒してこそ命というものは価値がある。
という文脈で捉えれば納得できるセリフではあります。

その姿は、夏の終わりに蝉やヒグラシが命尽きるまで鳴き続ける、
そんな姿と重なるところがあるように感じます。






去り逝く夏のひぐらしの鳴き声