らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「田原坂合戦」菊池寛













今年の大河ドラマ西郷どん」。
その主人公は明治維新の元勲西郷隆盛であるわけですが、
その西郷の最後の戦いが西南戦争であり、
西南戦争で最も激戦だったのが田原坂の戦いでした。






明治10年2月、鹿児島を出発した西郷軍1万4千は北上し、
まず熊本城を包囲します。
しかし意外に熊本城の守りは固く、攻略に手間取っているうちに、
九州の北部から、大量の兵員と物資を伴った政府軍が南下する気配を見せます。

それに対して、西郷軍は、熊本の北にある田原坂で政府軍を迎え撃ちます。
当時大量の兵員や大砲が通過することができるのは、この田原坂だけだったため、
政府軍が勝って田原坂を抜ければ熊本城開放、
西郷軍が勝って田原坂を抜けなければ熊本城落城と、
西南戦争の帰趨を占う戦いとなりました。

この菊池寛の作品は、田原坂の戦いの経緯を事細かに記していますが、
文字だけですと非常にわかりにくいところがあり難解です。

実は、YouTubeに、西南戦争の両軍の動きをビジュアル化したものがあり、
興味ある方はぜひこちらをご覧ください。
https://youtu.be/YAGgNwlD3mk

非常に素晴らしい出来で、自分は11ある西南戦争の全シリーズ見入ってしまいました。


戦いの経緯を非常におおまかに言いますと、
次から次へと後方から兵員物資を補給することのできる政府軍が、
個々の戦闘では獅子奮迅の戦いをする西郷軍をじりじり圧迫し、
結局、兵員と武器の補充を受けることのできない西郷軍は田原坂を支えきれず放棄。
結果熊本城は解放され、西郷軍は南に撤退し、
戦いの雌雄は決しました。

その後、西郷軍は人吉、都城、宮崎と南九州を転戦するのですが、
そのさまよえる西郷軍の姿は、
太平洋戦争のミッドウェーで主力艦船を沈められ、
太平洋の南の島々に点々と孤立とせざるを得なかった旧日本軍の姿と重なります。

結局、西郷軍は大局を挽回することはできず、
5ヶ月後鹿児島の城山で西郷以下全員自決もしくは戦死します。

実は、城山総攻撃の直前西郷軍の幹部達は、
西郷の命だけでも助けることができないか政府軍と折衝していたのですが、
政府軍の幹部曰く、
せめて都城の段階でその申し出をしてくれれば何とかなったのだが、
それからあまりにも人が死にすぎたと言って、結局実現できなかったそうです。

翻って考えれば、太平洋戦争が本土決戦となり、
犠牲者がさらに膨大になっていれば、天皇制の護持は難しく、
昭和天皇も戦犯にかけざるを得なかったかもしれません。

西郷の破れた西南戦争は、日本人同士が戦う最後の内戦となり、
以降現在に至るまで150年が経過しています。


では、西郷軍が勝利するにはどうしたらよかったのでしょうか。

自分は、初期の段階で早期に熊本城を奪取することが全てであったと思います。
戦いの後、西郷は「官軍ではなく加藤清正に負けた」と言ったそうですが、
熊本城に立てこもる4000に対し西郷軍1万4000。
熊本城が3倍以上の兵力差をもってしても、
攻略することができない堅城であったことは確かです。

しかし西郷軍が破れたのは熊本城の城構えばかりではなく、
やはりその守る人々にありました。

司令官の谷干城の下には、後に日清戦争を勝利に導いた参謀総長川上壮六、
日露戦争を勝利に導いた参謀総長児玉源太郎奥保鞏など、
後に大日本帝国を背負って立つそうそうたる人材が揃っており、




熊本城守備の司令官と参謀たち


あと、西郷の参謀達が、大砲一発ぶっ放せば、
百姓兵どもはびっくりして城を明け渡すだろうと半ば馬鹿にしていた平民で構成された軍隊。
その軍隊の強さを、西郷軍は死ぬまで理解できなかった。
西南戦争をさかのぼること15年前、
長州の高杉晋作が我が国で初めて創設した身分によらない軍隊である奇兵隊の強さ。
ひいてはナポレオンの下で戦ったフランスの国民皆兵の軍隊が、
ヨーロッパの貴族の軍隊を次々と打ち破った歴史。

前時代的な古い体質の西郷軍は、近代的な新しい官軍に破れたのだと感じます。
よく言えば、西郷は、古きサムライスピリッツに殉じたというべきでしょうか。


しかしながら、それにしても最後西郷軍が死に場所を求めて、
宮崎を脱出してから山づたいに鹿児島の城山に到着するまでの百数十キロ。
真夏の一か月間、ひたすら山中を歩き続ける体力もさることながら、
おそらく食糧の乏しい飲まず食わずの状態で、
よくぞ城山にたどり着くことができたなと、
その精神力に驚嘆します。

西郷軍の逃走路を実際に歩いた方の映像
https://youtu.be/dSnfgBj7J3s

最後、城山にこもって玉砕した西郷軍は300と言われますが、
まさに一人一人が一騎当千の強者達。
この辺りが作品の最後にも書いていますように、
今を以てなお、政府軍の兵士たちの墓よりも、
西郷軍の玉砕した人たちの墓に花が絶えない理由でもあるのでしょう。






西郷が最後の時を過ごした城山の洞穴



青空文庫田原坂合戦」菊池寛
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card1359.html





鹿児島に立つ西郷隆盛銅像
有名な上野の銅像と異なり軍服姿です。