らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【詩】「命燃えて」 佐伯為雄






蝉しぐれ
次第に遠く
なりにけり

もぞ


夏が終わってしまう前に、
やはり8月は、先の戦争の記事を一つは
書いておかねばならないと思い、記します。




「命燃えて」   佐伯為雄



燃ゆる火を抱き
このやきつく身体もて  
日々 夜々 さまよふ
この魂を燃やせ
このからだをぶっつけろ
熱に燃えた眼(まなこ)をあぐれば
電光に射られし如く
髪をかきむしって 地にひれ伏す
ああ この熱き身は




若いたぎるようなエネルギーのほとばしり。
若い時は、この世で何かを成し得たいという意欲に溢れ、
しかし、それが何かわからず、頭の中をぐるぐる回り、
挑んではぶつかり悩み、
そういうことの繰り返しが、若さそのものなのだと思います。

しかし、現代人はこれほどまで自らに問いかけ、
がっぷり四つに苦しみを受け止めることがあるでしょうか。
ともすれば、現代人は、ことさらに苦しみを回避しようとしているようにも感じます。


詩の作者佐伯為雄さんは、学徒出陣でフィリピンに出征し、
現地で戦死されました。
享年22歳。

日々悪化する戦況下において、
若い彼らは自らのたぎるエネルギーの注ぎ口に悩み、葛藤し、
幾晩も悶々としたことでしょう。
彼らに人生の選択の余地などあろうはずもなく、
おそらく自分が死ぬであろう戦争に、いかに自分自身の意義を見出すか。
それは苦しい自問自答の連続であったに違いありません。


実はこの佐伯さんの作品、
「きけわだつみの声」などの書籍に掲載してあるものではなく、
日頃、自分が愛読している94歳のブロガー紫蘭さんの記事に掲載してあったもので、
紫蘭さんの友人であった佐伯さんが、当時同窓のささやかな壮行会の際、
原稿用紙に書いた自分の詩集を手渡し、これを読んでくれと言ったものだそうです。
今から七十数年前の話です。

佐伯さんは、詩人萩原朔太郎に心酔していたそうで、
確かに、作品の端々に、いい意味での気負いといいますか、
そのような影響が見受けられるようにも感じます。

その後、その原稿用紙の詩集は、
詩歌に造詣の深い大学の教授に提出し見て貰ったそうですが、
残念ながら、その後どうなったのか覚えがなく、
今は、紫蘭さんの日記に書き写した数編の詩だけが現存しているとのこと。

佐伯さんのご実家は、広島の原爆で家族もろともに吹き飛び、
彼を偲ぶ遺品は自分の日記の中の数編の詩だけとなり、
せめて彼が生きた証として、僅かに残した命の灯ともいえる
詩の数編をここに書き留めておきたい。
との紫蘭さんの言葉で記事は終わっています。


世間では、先の戦争は無意味であったと総括してしまう論もあります。
確かに戦争は愚かなことではありますが、
自分はそのような論に乗ることには躊躇します。
そう結論づけてしまうと、若い彼らの命は死んでしまう。

限りある命の中で、自分のこと、家族のこと、国のこと、世界のこと、
色々なことに苦悩し、葛藤して死んでいった彼ら。
そのような苦悩や葛藤は、真っ正面から物事を見据えた真っ直ぐな生に満ちています。
こういう彼らの苦悩や葛藤こそ、
次世代の我々が受け継いでいかなければならないのではないかと強く感じます。








フィリピンの密林を行軍する日本兵たち




こちらが紫蘭さんのブログの元記事です。
佐伯さんの写真や他の詩作も掲載していますので、
興味のある方はぜひご覧になってみてください。