らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「銀河鉄道の夜」宮澤賢治

まずはじめに、青空文庫には、3種類の「銀河鉄道の夜」が収録されています。
この作品は宮澤賢治が何回も推敲を重ねたため、版がたくさん存在するんです。
最近の研究で、内容がどのように変遷していったか明らかになってきたようで、
青空文庫収録のものでいうと、三番目→一番目→二番目の順番で版が新しくなるようです。

やはり最後の版が、最も賢治の意図に沿っていると思われるので、
まず二番目に収録のものを読むことをお薦めします。
それで余裕があれば一番目、三番目を読まれればよいかと思います。
そうすることで、賢治がどういう意図で物語の構成を変えていったか想像するのも楽しいと思います。


さて「銀河鉄道の夜」は読んでいて不思議な感覚にとらわれる作品です。

この作品は個々の部分を分析的解析的に読むよりも、物語を感じるイメージ、
もっといえば浸るイメージで読むのが良いような気もします。

ブログ友達の方で「銀河鉄道の夜は思わず音読したくなる」とおっしゃった方がおられますが、
物語に「浸る」という意味ではとても素晴らしい方法だと思います。

宮澤賢治の作品は音がとてもきれいですが、「銀河鉄道の夜」は特にそれを感じます。

そんな読み方で物語の意味を汲み取れるのか、という向きもあるでしょうが、
物語に浸りながら読み終わった時、心にぽっと残る温かいもの、爽やかなもの、
印象は人それぞれでしょうが、そういったものが心に存在することに気づく。
そんな気がします。

あたかもジョバンニが自分で入れた記憶がないのに、
知らない間にどこまでも行くことができる切符を持っていたように。

この物語は、家庭やら学校で必ずしも恵まれていないジョバンニという少年が、
いつの間にか、銀河鉄道に乗って、
親友のカンパネルラと銀河をめぐる旅に出るというストーリーになっています。

銀河の中を汽車が走っていく描写はまさに美しい詩そのものです。

「青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、
風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした」
「そのきれいな(天の川の)水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、
ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、
虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き(ました)」

旅を通じて2人で交わす会話は
「ほんとうのさいわいとは何か?」
ということ。

2人が乗る銀河鉄道には様々な人々が乗り降りしたりしますが、
彼らの話すことを聞いて、本当のさいわいとは何かを考えます。

でも具体的にはよくわからない。
しかしわからないなりに旅を続け、人々と接するうちにそれを体感的に悟ってゆきます。

そして道中一緒になった少女により語られた、蠍座誕生のエピソード。
「どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず、どうかこの償には、まことのみんなの幸のために
私のからだをおつかひ下さい」
という蠍の祈りの話を聞き、本当にみんなのさいわいのため、
たとえ真っ暗な闇の中であろうと、どこまでもどこまでも一緒に進んで行こうと誓い合う2人。

しかし誓い合った直後、親友カンパネルラは姿が見えなくなってしまいます。

祈りながら水の底に沈んでいった蠍の姿は、
友達を救おうと水に沈んだカンパネルラの姿そのものだったのかもしれません。

ジョバンニに大事なことを教えるため、銀河鉄道に乗って一緒に旅をし、もう大丈夫と思い、
カンパネルラは安心して姿を消したのでしょうか。

ここでふと現世に意識が戻るジョバンニ。
そこで初めてカンパネルラが水難事故で行方知れずになっていることを知ります。

悲しい気持ちになりながらも、ジョバンニは取り乱して我を失うことなく、カンパネルラの父を思いやり、
また自分の母に、父が帰ってくることを知らせて喜ばすために走って家に戻ります。

みんなのさいわいのため、自分の命を捧げても構わないという誓いからすると、
最後のジョバンニのささやかな思いやりは、あまりにも些細なことに思われるかもしれません。

確かに他人のために自己の命を捧げることは究極ではあるでしょうが、
自分の思いをちぎって相手を思いやることは、いわば命の一部を与えることであり、
命全部を与えることと同価値だと思い、ここで物語を終わらせたのかもしれません。

つまり、思いを分かち合うことは命を分かち合うこと。
思いを分かち合い続けることで、
今生きている者も、生きた者に思いを託して死んだ者も、永遠に、共に生き続けることができる。

思いを分かち合い、命を分かち合い、永遠に生きるために、人は人生の旅をしてゆく。

自分はこの作品から、そのようなメッセージを感じ取りました。


翻って考えると、このブログというものは現代の銀河鉄道といえるかもしれません。

それぞれの人がそれぞれの思いを乗せて、それぞれに旅を続ける。
縁あって同乗し、お互いの思いを分かち合いながら、
ある人は分かち合った思いを胸に下車し、自分の信ずる道を行き、
ある人はずっと一緒に旅を続ける。

そのような出会いの旅を続けることで、人の思い、すなわち命は脈々と人から人に受け渡され、
永遠に生き続ける。

少し気取った言い方かもしれませんが、そのようなものかもしれないと、ふと思いました。