らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ぼくが君の思い出になってあげよう」森田童子












今年は世の中で活躍した方々が大勢亡くなる年だなと感じます。
星野仙一さん、朝丘雪路さん、高畑勲さん、西城秀樹さん、
最近では桂歌丸師匠、加藤剛さん 。
加藤剛さんはドラマ「関ヶ原」の記事を書いたばかりだったので、
お亡くなりになったニュースは、ちょっとショックでした。


時代を彩った人々がたくさん亡くなったと感じるのは、
昭和が平成に変わる時もそうでした。
石原裕次郎さん、美空ひばりさん、手塚治虫さんなど、
平成の代に変わる前後に相次いで亡くなったように記憶しています。

亡くなられた石原裕次郎さん53歳、美空ひばりさん52歳ですか 。
当時、自分は、ほんの子どもで歳相応で亡くなられたと思ったのですが、
30年経った今から考えると、
とても若くお亡くなりになっているのにびっくりします。
手塚治虫さんは60歳ですが、若い頃からずっと徹夜で漫画を描き続けられていて、
最期の病室でも描いておられたので、
100歳ぐらいのボリュームで生きたと言えるかもしれません。

年齢の数だけいえば、今日ではいずれも短命と言えますが、
吉田松陰が最後に書き遺した「留魂録」にあるように、
春夏秋冬きちんと自分の人生の四季を経て、この世を去ったのだと感じます。
吉田松陰留魂録」の記事https://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/14020771.html

そしてまた平成が終わり、次の新たな時代を迎えようとしている今日、
たまたま偶然なのか、それとも時代が人々を連れ去ってしまうのか、
感じるところは人それぞれでしょうが、
今まで活躍していた人が次々と亡くなっていくのは、
やはり一抹の寂しさを感じざるを得ません。


さて、歌のテーマなどで、
死んだ者に対する悲しみ、哀悼というものを歌ったものはたくさんありますが、
死に逝く者が、残された者に対して想いを歌った歌というのは、
あまり見受けられないように思います。

そこで今回は、やはり4月に亡くなられた森田童子さんの
「ぼくは君の思い出になってあげよう」という作品を紹介したいと思います。





君はいつか ぼくから離れて 
ひとりで 大人になってゆくのさ
ほんの少し 淋しくても 
君は 都会の中で 
ひとりで やってゆけるさ
君が忘れた 砂ぼこりの風が吹く 
この街に ぼくはいる
淋しかったら いつでも 帰っておいで 
ぼくは 待っていてあげよう

年上のぼくが 淋しいと云ったら 
君はこのぼくを 笑うかな
さびれたこの街で もう若くはない 
ぼくは 
君の思い出になってあげよう


https://youtu.be/y_n6z55EWSk


これは直接には死に逝く者の思いを歌った曲とはいえないかもしれませんが、
未来を求めて旅立っていった若者を見送る、年上の人間の思いを歌った曲です。

もう年老いたぼくは、若い君と一緒に人生を歩んでいくことはできない。
ただ君の生きる糧になるように、
ぼくは君の思い出になってあげようという歌詞は、
年老いて、もう一緒に歩むことができない人生の悲しさと、
一人取り残されてしまった孤独感とが曲全体を覆っていながらも 、
その曲調から垣間見える、旅立った若者に対する優しさ、穏やかさ、そして純粋な思いが印象的な歌です。


人生100年時代に突入などと威勢のいいことが言われる昨今ですが、
生きることばかりに目が向かい、ますます死は遠ざかってゆく。
ゆえにいつまでも自分の事にかまけて、自分のために全てを使い尽くして人生を終える。
ある意味、幸せとも言えますが、不幸せとも言えます。

いつまでも死を意識することがなく、生に見切りをつけることがないため、
自分が死んで、これから生き続ける者たちに、
この歌のような、何か祈りにも似た思いを残してあげようと思う人は、
この世の中にどれだけいるだろうかと感じることがあります。