らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ 花燃ゆ4



 
第17話 「松陰、最期の言葉」


今回、吉田松陰安政の大獄により刑死する回でした。
死に臨んで、松陰は多くの人々に、いくつかの言葉を残しました。

「花燃ゆ」は、吉田松陰の妹文を主人公としたドラマですから、
松陰が残した言葉の中でも、家族との関わりの深いものを選択したのだと思います。

まず、松陰が家族に宛てた遺書「永訣の書」。
その中の短歌


親思う
心に勝る親心
今日のおとづれ
何と聞くらん


自分が親を思う心よりも
いつも大きな心で思ってくださる親の心
(本当にありがたいものだ)
今日私の死罪が執行されたとの知らせを
親はどのような気持ちで聞くのだろう
(それを考えると心が苦しくて仕方がない)


何ものにも物怖じせず、果敢に立ち向かって、命を惜しまなかった松陰も、
ここでは親思いの大人しい一人の青年に過ぎません。
前の記事で、松陰の生活は、貧しいながらも家族みんなが寄り添って、
慈しみ合いながら生きてきた、
人々の暖かさがあるということを申し上げました。
この歌はその家族に対するそのような思いがにじみ出たものに感じます。


そして、もうひとつ、松陰自身の言葉で語らせた留魂録の中の第八章の言葉。


春に種をまき、夏に苗を植え、秋に実り、冬には蓄える。
人にも同じように四季があります。
人の命とは歳月の長さではない。
十歳で死んでいく者は十歳の中に、
二十歳で死ぬ者は二十歳の中に。
それぞれ春夏秋冬があり、実を結んでいるのです。


 
前の記事で、松陰は武士であるのに、農事に例えて遺書を綴ることに、
違和感を感じる方もいるかもしれないと申し上げました。
彼の家は武士とはいえ、半農の貧しい家であり、
幼き頃から、家族と共に、学問の傍ら農作業にたずさわって生きてきました。
ですから、作物の実りを自己の人生に例えるということは、
松陰自身にとって最も身近で的確に、それを例えることができるものであったでしょうし、
留魂録のこの下りは、学問を共にした塾生の面々よりも、
農作業に一緒に勤しんだ家族の人々の方が、
心に深く感じ入るところがあったのかもしれません。

なお、劇中、松陰の母がそこに居ないはずの松陰の幻を見る描写がありましたが、
実際、処刑当日、父の百合之助と母瀧子それぞれの夢枕に、
同時に松陰が現れたという逸話が残っているそうです。


ドラマなどの吉田松陰の処刑のシーンといいますと、
今までは、松陰と桂小五郎高杉晋作というように、
塾生との関係で語られることがほとんどであり、
家族との関係で描かれることは、あまりなかったのですが、
今回、松陰と家族との心情の吐露が非常によく描かれており、
良かったのではないかと個人的には思いました。

今週土曜日に再放送がありますので、
興味をもっていただけたなら、ぜひ観ていただければと思います。