らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「雪の一日」岡本綺堂









今週の木金あたり、首都圏ではまた雪の予報となっています。
やっと前回の雪が溶け切ったかなと思っていたのに、
またかというところですが、
今年の冬は、例年より空気が冷たく、
まだまだ何回か雪に見舞われそうな予感がします。 


さて、この作品、今から100年ほど前、
大正時代の首都圏に雪が降った時のことを記したものですが、
にわかに積もった雪に右往左往する都会の人々の姿は、今と変わりません。

その時、作者が思いを馳せるのは信州の知り合いのこと。
信州という土地柄は4ヶ月ぐらい雪に埋もれてしまうため、
楽しみが小説を読むことぐらいしかなく、
戯曲ばかりではなく小説を書いてくれと頼まれていたことを思い出します。

つまりは雪深い山里では劇場などに出かけることもできないので、
家でじっとしているしかない。

そんな雪に閉ざされた地方に住む人々のために読んでもらう小説を急に書く気になって、
外に降る雪を眺めながらペンを走らせるところでこの作品は終わります。


当時は、スマホやパソコンはおろか、
ラジオやテレビもありませんでしたから、
このように雪に閉ざされてしまう地方では、
小説を読んだり俳句を詠むくらいしか楽しみがなかったんですね。

それに比べれば、今は居ながらにして、
オンタイムで都会と同じものを見たりすることができる、
格段に便利な時代になったといえます。

しかし、便利な社会というのは、得てして地方の個性を消し去り、
全国同一規格になってしまうものです。

都会であろうと雪国であろうと南の島であろうと、
同じものが同じ時間に楽しめるということは、
それはそれで楽しいでしょうが、
全国一律みんな同じ趣向を好むというのも
ちょっと味気ない気もします。

地方の個性の喪失化というのは言われて久しいですが、
それは便利で効率的な社会志向と軌を一にしてるような気がします。

地方の個性化とは、一見不便で手間ひまのかかる、
なかなか効率化し得ないところで存在し得るものなのかもしれません。


今日、高速交通機関や高速度情報網などが整備され、
地方都市に行っても
同じチェーン店が並ぶ東京のミニチュア版のような街ばかりになってしまっているのを見て、
ふと、そんなことを思いました。

利便性や効率化は人間社会において、大きなメリットをもたらしますが、
反面、失ってしまうものがあることも、
心に留め置くべきではないかと感じます。