らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「巨いなる企て」堺屋太一








今年の大河ドラマ真田丸」で山本耕史さんが石田三成を好演しておりますが、
本作品は、堺屋太一氏がその石田三成について書いた歴史小説です。
氏の作品を今までいくつか読んできましたが、
自分的には彼の最高傑作のひとつだと思っています。

石田三成徳川家康の2人を描いたものといえば、
司馬遼太郎の「関ヶ原」ですが、
そこでは石田三成は義を重んじる人物として描かれています。
三成の思い描く義とは、ある意味、硬直したものであったため、
勝てるチャンスを生真面目にことごとく潰し、関ヶ原の戦いで敗れる様を描いています。

それに対し、堺屋太一氏の描く三成と家康は少し違います。
二人はこれから作ろうというする世界観が全く違う。
簡単にいえば、三成は活気溢れる商の世界を志向し、家康は一所懸命の農の世界を理想とする。
三成は成長の世界を求めるが、家康は安定の世界を第一義とする。
そのような二人の間には相容れるところのない冷たく乾いたものを感じさせます。

ところで、石田三成というのはどういう人物であったのでしょう。


彼が頭角を現したのは柴田勝家との賤ヶ岳の合戦で、
大垣から賤ヶ岳までの道のりの食事や松明を見事に調達し、
秀吉軍の勝利に大きく貢献したことによります。
その後も朝鮮出兵の折に船奉行に任命され、
船のやり繰り、兵員兵馬兵糧輸送まで切り盛りを見事に為し遂げ、
秀吉の死後、僅かな期間において、朝鮮からの撤退を完了させるなど卓越した処理能力を示します。
それはあたかも前漢の蕭何のような才能を持った人だったと感じます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E4%BD%95

すなわち、三成は極めて有能な行政官僚であり、
必要な数値を全て抽出し、必要なものを速やかに割り当てて配分してゆく
数学的処理に長けた人物だったといえるでしょう。
それだけに合理的なことから外れたものが許せない性格だったようです。

これに対し、家康は一見合理的な数値というものから最も遠い人間といえます。
家康の頭にあるのは、徹頭徹尾、人というものはどういうことで動き、どういうことで動かないか。
そういう事を考え尽くし、辛酸を嘗め尽くした人生であったといえます。
戦国乱世を生き抜いた一国一城の主であり、一流の政治家であったと感じます。

行政官僚と一流の政治家の差とは何か。
物事の動きに対する勘の良さ、
そして、ここぞというところで勝負に出ることができる勇気と決断だと自分は思います。

行政官僚というのは得てして全ての条件が整った状態でなければ、
物事を決断できないきらいがあります。
それに対して一流の政治家は一瞬の勝負どころを察することができる。
信長の桶狭間しかり、秀吉の山崎の合戦しかり、家康の長久手の戦いしかり。
合理的に考えて、勝利の可能性が極めて低いとコンピューターがはじき出した
計算の隙間みたいなところに、実は勝利の一瞬は隠れていて、
それを見出すことができるのが一流の政治家。
物事を完成させる画竜点睛の最後の点に当たる部分こそ、合理性では説明しかねる勘なのだと感じます。

しかし、三成にはそれがない。
そういった意味で秀吉と三成のコンビというのはベストマッチだったのだろうと思います。
秀吉亡き後、前田利家と三成の関係もそれに近いものがあったと言えますが、
前田利家も秀吉の死後、後を追うように亡くなり、その関係は無くなってしまった。

人間というのは合理性だけでは説明しえない、非合理的な面を併せ持つ生き物です。
非合理性の部分は個性であるとも言い換えられます。
家康は一人一人の個性を巧みに掴むことができたが、
三成は合理的な性格ゆえにいささか杓子定規であり、一人一人の個性を掴み損ねるところがあった。
そういうところがあったのではないかと感じます。

そして堺屋氏は、二人の対決は現代に例えるなら、
対等合併した大企業のオーナーで合併会社の副社長と社長室長くらいの差のあるものであり、
石田三成が、それを関ヶ原の戦いまでに五分五分の戦いにまでマネージメントできたということは

すごいことだ。と言います。

その「巨いなる企て」のマネジメントの部分が、本作品では極めて事細かに緻密に描写されており、

ぐいぐい読ませるものがあります。

堺屋氏の小説は、歴史の情景を現代の会社に例える所があって、
確かにその例えは分かりやすいのですが、
それが過ぎる時には ハウツー本のようになってしまい、
いささか小説としての風味を損ねるところがあります。

そして、もうひとつ惜しむらくは、

堺屋氏の最も読ませたいところが、
圧倒的に力の差のあるものを五分五分に持っていったという所にあるため、
関ヶ原の大舞台の直前で、この作品は終わってしまっているところです。
これは小説的には大きな減点だと言わざるを得ません。
その点、司馬遼太郎さんの関ヶ原は詩情があり、物語として完結しています。

堺屋作品の、主題を書いたらおしまいというのは詩情がなく、
なんとなくハウツー本だと感じてしまうゆえんです。

つまり感心はするが感動はしない。
自分的に堺屋作品が小説の物語として、必ずしも一流と評し切れぬ理由はそこにあります。

しかしながら、その点を除いても、
石田三成に関する分析は、ハッと目を開かせる部分に満ちており、一読の価値があります。

この作品は青空文庫所蔵のものではありませんが、
図書館などで比較的簡単に手に入るので、
大河ドラマ真田丸」と丁度これから被るところですし、興味のある方はどうぞ読んでみてください。



明治40年に発見された石田三成の頭蓋骨。




骨格は女性と間違う位華奢で線病質と思われ、
顔は細顔で頭は前後にでた木槌頭。
鼻は高く、鼻筋の通った優男タイプ。
身長は推定156センチ。
肖像画はかなり実物と似た感じなのではないでしょうか。