らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「胡桃割り」永井龍男 教科書名短篇より






「教科書名短篇 少年時代」の最後に取り上げる作品は、永井龍男「胡桃割り」。

作品を通して読んで思うのは、

物語の構成が、実に上手いということ。

ある日の午後、神宮に六大学野球を観に行った帰り、
私は友人の絵描きの家を訪れます。
そこでデザートに出された紅茶に添えられた胡桃。

ブランデー入りの紅茶のおつまみに胡桃とは、なんともお洒落ではありますが、
そこで、絵かきから、今日は彼の父親の命日だということを告げられます。

胡桃と絵かきの父の命日と一体どんな関係があるのか。
2つの関係が謎めいていて、
一体どういうことなのだろうと興味をそそられ、
思わず先を急ぐように読み進めてしまいます。


そして、絵かきの話とは、次のようなものでした。


病弱で寝たきりの母をもった、小学6年の僕。
仕事柄、父の不在が多く、家を留守がちで、
彼の姉が母親代わりをつとめていたとはいえ、
多感な少年期を過ごしていた少年の心を充分に満たすものではなかったでしょう。

彼の唯一の楽しみは学校での友達との交流でしたが、
母の病気の悪化で、

楽しみにしていた一泊遠足も断念しなければならないはめになります。

心が満たされず、何もかもが上手くいかない日々。

そんな時、イライラした、やるせない気持ちをぶつける思いからでしょうか、
父の卓の上にあった胡桃をなにげに取って、胡桃割りを試みます。
しかしながら、全力を籠めても胡桃は固くてびくともしません。
僕はかんしゃくを起こして、胡桃割りをそのまま放り出してしまいます。

まさに胡桃が割れないことは、

彼自身の、物事が上手くいかないことの象徴的な出来事といえます。

そして、彼の中学受験の後、母はついに帰らぬ人となります。

父と姉との新生活が始まった僕。
父は、母の分まで子供達に惜しみなく愛情をそそいでくれます。
しかし、ほどなく起こった姉の縁談の話。
相手は、姉も好意をもっていた人で、
挙式は母の一周忌が済んでからと、トントン拍子で話は進みます。

なぜ、自分を愛してくれる人は次々と自分の前からいなくなってしまうのだろう。
少年の悲しみと苛立ちが手に取るようにわかります。

そこで降って湧いた父の再婚の話。
その人は母の介護にも来ていた母の遠縁の桂さんという人でした。
僕は桂さんに決して悪い印象をもっていないものの、
自分の預かり知らぬところで、物事を決めてしまう大人たちに反発して、
どうしても素直になれません。

ああでもない、こうでもないと悶々と日々を過ごす僕でしたが、
そんな日の夜に聞いた、父が書斎で一人胡桃を割る音。


夜の静寂の中でカチンカチンと聞こえるその音は、
独り身になった父の寂しい心の内を象徴するものだったのかもしれません。

そして、少年は、母の一周忌が終わったその日、
父と姉と家族水入らずで久しぶりに食卓を囲みます。

ほどなく姉も嫁に行っていなくなり、

父と僕の二人だけになってしまうこの家の中。

これからは出張しないで、家に居られるように会社に頼んできたと言う

父の横顔に老いを感じる少年。

なんとなく、間が悪くなって胡桃を割ってみると、
意外にも快い音とともに胡桃が割れます。

「カチンと、快い音がして、胡桃は二つに綺麗に割れた。
思いがけない、胸のすくむような感触であった。」

その瞬間、少年の心の中のわだかまりが消え去ります。

「お父さん、僕、桂さんに
 家に来て貰いたいんだけど…」

自分に愛を受け取ることばかり考えていた少年が、
相手に愛を与えることに目覚めた瞬間。


これは、彼の成長において非常に画期的な変化です。

大人と子供の違いとは何か?と問われれば、
自分は、きっとこれを答えることでしょう。

そして、この物語は、次のような一節で終わります。

「なるほど、絵かきは、カチンと、巧みに胡桃を割り、その音をしみじみ懐かしむ。
私の割る音とは、どうしても違うのだ。」

それもそのはずです。
胡桃を割る音には、絵かきの人生が凝縮されているわけですから。


僅か十数ページの短い作品で、これだけの内容を表現できるとは、
本当に素晴らしいと感じました。
話のもたせ方といい、畳み掛けといい、短篇の模範といえるような作品です。
なんでも、永井龍男は短篇の名手といわれている人だそうです。
さもありなんというところでしょうか。






永井龍男肖像