らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「わがはるかなるラスカル」スターリング・ノース(あらいぐまラスカル 原作)

 

 


いわゆる往年の世界名作劇場のアニメ関連の話をしてきましたので、
最後のオマケとして「あらいぐまラスカル」という作品を紹介しようと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=1ZxLZMtFLA0
これ物語も、アニメの元になった原作があります。
それは「はるかなるわがラスカル」スターリング・ノースという小説。

アニメで、ラスカルを飼っていたのは、スターリングという少年でした。
そうなんです。「あらいぐまラスカル」は、
スターリング少年が、後に大人になった時に、
その少年時代の思い出を書いた自伝的な小説だったんです。

実際、スターリング少年がラスカルを飼っていたのは
1918年頃、彼が11歳の時のことだったそうです。
ちなみに彼の家族ですが、
彼のお母さんは40歳を越えてスターリングを産み、
お父さんは農場経営や不動産売買事業を手がけていた実業家でした。
父は、仕事のため家を留守にしがちでしたが、
母は高い教育を受けた非常に聡明な女性で、
幼いスターリングに熱心に教育を施し、
それが後の彼の人生のうえに大きな影響を及ぼしたようです。

しかし、そんな母も病気がちであり、
スターリング7歳の時、とうとう亡くなってしまいます。
まだ47歳の若さでした。
お母さんが亡くなった5月は、ヒヤシンスの花が咲き誇り、その香りが辺りに漂っていて、
スターリングは大人になってからも、
その匂いをかぐ度に、母の死んだ悲しみを思い出したといいます。

母が亡くなって、その後、年の離れた兄姉も家を離れ、
しばらく父との二人暮らしが続きました。
仕事がら、父は家を夜遅くまで空けることが多く、
スターリング少年は、家で、自分で食事を作って食べ、
夜遅くまで一人で過ごしていたことが多かったそうです。

そんな時に、ウェントワースの森で出会ったのが、
あらいぐまのラスカルというわけです。
スターリング少年11歳の5月のことでした。

そこから先のお話については、みなさんよくご存知のことと思います。
スターリング少年のラスカルをみつめる眼差しが透けて見えるような、
ラスカルに対する愛情溢れる毎日が、非常に事細かに描かれています。

このお話、何げない少年の日常を描いた作品なのですが、
読んでいる者を惹きつけて離さないのは、
ラスカルに対する、その愛情の深さが随所に滲(にじ)み出ており、
かつ、見ていて、ある種、不思議な懐かしさを感じさせるところがあります。

あらいぐまは賢く好奇心旺盛な生き物なので、
11歳の少年とは非常にウマが合ったようです。
ラスカルと過ごしたその年の夏は、ずっと寂しい生活を送っていた少年の心を優しく慰め、
スターリングはラスカルを自転車のかごに乗せ、
森にサイクリングなどに出かけたりして、楽しく過ごしたようです。
アニメでも、その辺りのエピソードが描かれていましたね。




ところが年が明けた頃、
あらいぐまというのは生後1年で成獣となり、性質が荒くなってしまうそうで、
アニメでも大きくなったラスカルが、近所の畑を荒らしたり、
ニワトリ小屋の卵を食べてしまったりという描写がありました。
そして、とうとう近所の人達と揉め事になり、
檻に入れて、外出する時はリードをつけるという約束をさせられます。

ラスカルの檻の中で怯えきった鳴き声を聞いたスターリング少年は、
いたたまれず檻からラスカルを出し、抱きしめて一緒にベッドで眠ることもあったそうです。
が、同時に、その頃、少年はラスカルとの別れが近いことを予感していたようです。

ラスカルと出会って1年が経った5月のある晴れた日に、
あらいぐまのエサのザリガニや魚の多い、人間のめったに近づかない森の奥に、
カヌーで、ラスカルを離しに行くことになります。
それは月明かりの美しい夜のことで、
しばらくラスカルはためらっていましたが、
やがて水に飛び込むと岸に向かって泳いでいったそうです。
少年は森に消えてゆくラスカルを、
最後にもう一度月明かりの下に見たように思ったそうです。

アニメでも、最終回にて、この辺りの描写は克明に描かれており、
心に残るエピソードとなっていました。
ここでアニメのラスカルの話は終わりです。
スターリング少年は、その後二度とラスカルに会うことはありませんでした。


それでは、その後、ラスカルと別れたスターリング少年は、
どのような人生を送ったのでしょうか。

しばらくして中学に入学したスターリング少年はアメフトに熱中し、
将来はアメフトの選手になりたいとさえ思っていたそうです。
しかし、15歳の時、彼に悲劇が起こります。
ある難病にかかり手足に重い麻痺の症状が残り、
二度と歩けない車椅子の生活になってしまったのです。

スポーツができない体となってしまったスターリングは、
その代わりに勉強に打ち込むようになります。
そして、スターリングは、高校で非凡な国語教師と出会います。
その先生は、「自分達の周囲の生き物をよく観察して、
はっきり明白に、要点をまとめて書くように」
という課題を出され、それが、ラスカルのことを一番最初に描いた体験だそうです。

その後、スターリングは最優秀生徒として高校を卒業し、シカゴ大学に入学。
大学卒業後、新聞の編集者としての仕事のかたわら、
いくつかの小説や絵本を書いていたそうです。
その後、壮年になったスターリングは、
ニューヨーク・ポストの文芸部編集長てして迎え入れられ、
マンハッタンの街で仕事するようになりますが、
40代になった頃、病気のせいもあり、にわかに体力の衰えを感じ始め、
もう一度、少年の頃のように森と湖の暮らしに戻りたいと願うようになります。
ラスカルのことを描こうと決意したのは、その頃のことだったようです。
 
そして、スターリング53歳の時、「わがはるかなるラスカル」は出版されました。

その3年後、スターリングは脳卒中で倒れます。
自由に動かせる指は、もはや一本のみとなり、ほぼ寝たきりの状態になってしまいましたが、
スターリングは、その一本の指でタイプを打ち、物語を書き続け、
少年から送られてきたファンレターにも精一杯丁寧に返事を書いていたそうです。

そして1974年、スターリングは68歳でその生涯を終えました。

その3年後、日本でアニメとして「あらいぐまラスカル」が放映され、
あらいぐまと少年との交流の物語は、人々の心をとらえ、今もなお長く愛され続けています。

スターリングがそれを知ったら、さぞかし喜んだことでしょうね。

あらいぐまラスカルの物語は、このようにして生まれたのです。

ちなみにラスカルとは、英語で「いたずらっ子」という意味だそうです。