らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「共喰い」田中慎弥

 
これが、今年初めての読書の記事となります。
この作品は、平成24年第146回芥川賞を受賞したもので、
実は、昨年の年の瀬、まだ父が生きていた時に、
帰省の道すがらの電車の中で読んでいた作品です。

作者の田中慎弥氏は、この作品により芥川賞を受賞しましたが、
受賞の際、「辞退してやってもいいくらいだが、一応もらってやる」などと発言し、
物議を醸し、ちょっとした騒動になりました。

この作品の主人公は、父を憎み、軽蔑しながらも、
その父と結局同じことを犯してしまう自分自身に悩むとともに、
父と離れ難く繋がっている血の濃さというものに
どうしようもなく絡まれてゆく様子が描かれています。

到底その心を理解することができない存在だった父。
しかし、皮肉にも自分自身も、父と同じように、
愛する恋人に暴力をふるいたくなる衝動にかられる主人公。

抗(あらが)うというよりは、父との、その血の濃さゆえ
絡まれるまま、流されるがままのようにも見える主人公。

自分は、決して、このような暴力を仕方がないものとして
肯定する者ではありません。

しかし、実は、自分も、この主人公のものとは、やや趣(おもむき)を異にしますが、
かつて父が為したと同様の所為を為すことで、
父との離れがたい、血の繋がりのようなものを感じたことがあります。


それは、自分が子供の頃、
朝、出勤する父を、家族全員で玄関まで見送るのが、
その頃の習慣となっていました。

子供の自分らが「行ってらっしゃーい」と言って見送ると、
玄関を出た父は、こちらを振り向かずに
右手をサッと挙げて、それに応えてくれたものでした。

当時自分の住んでいたところは、田んぼなども残っており、
田んぼの向こう側の道を、最寄りのバス停に向かって
歩いていく父の姿が家から見えるのですが、
吐く息が白く見えるような今時分の寒い日などは、
父が激しく咳き込んで、時折り、胃からこみ上げるような苦しげな咳払いが、
こちらに、こだまするようによく聞こえてきたものでした。

それを聞いた母が、
「本当に嫌ねえ、煙草の吸い過ぎで喉が痛いんだわ。」
と、やや不機嫌そうに言っていたのを思い出します。
子供の自分も、そんなものなのかなと、
母の言葉を聞いていた記憶があります。

この寒い時期、父のひどい咳き込みはしょっちゅうでしたので、
その思い出が冬の風物詩のように、
自分の心に記憶されています。


時は流れ、いつしか自分も、
その時の父の年齢に近づいて来ました。
大人になった自分は、父と非常に体つきや雰囲気が似ていると、
親戚など周りから言われるようになりました。

そんな冬の或る日、その日はとても寒く、
吐く息も真っ白になるような日でしたが、
寒さが体に悪かったのか、冷たい外気に体が触れると、
思わず激しく咳き込んで咳が止まらなくなってしまいました。

それに加えて、この時、会社の仕事で納期が非常に厳しく、
まだ終わりが全く見えないプロジェクトを抱えていまして、
そのプレッシャーを感じた途端、
激しい咳き込みを通り越して、
思わず胃からこみ上げるような苦しげな咳払いを何度もしてしまいました。

その自分自身の、嘔吐に近いような咳払いの音を聞いた瞬間、
子供の頃聞いた、冬の朝の父の激しい咳払いの音、
それがフラッシュバックすると同時に、その刹那、自分は悟りました。

ああ、、父は煙草の吸い過ぎで、あの時、
胃からこみ上げるような苦しげな咳払いをしていたのではない。
父自身、いつも大きなプレッシャーと闘いながら、
朝、職場に向かっていたのだ。

父は仕事の弱音というものを、家族には一切吐かない人でしたが、
その時、はじめて、あの時の父の心がわかったような気がしました。

この小説の中で、父と同じ所為をしてしまう主人公が、
父と離れがたい血の繋がりというものを感じるところで、
自分は、自身の、その一連の出来事を思い出したのです。

その年の瀬の帰省から年が明けてすぐ父は亡くなりました。

この作品はそのテーマとそれを読んだ時期が、
ひょんな巡り合わせで父の死と重なったことにより、
期せずして非常に思い出深いものとなりました。




芥川賞受賞時の騒動関連の記事
(参考)http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/8152798.html