らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【金槐和歌集】源実朝 出でて去なば 主なき宿と










今年の初詣は鎌倉の鶴岡八幡宮に参りましたが、
鶴岡八幡宮といえば、歴史的に有名なのが、鎌倉幕府第三代将軍源実朝暗殺事件。

1219年1月27日、鎌倉に雪が二尺ほど積もった大雪の日に、
八幡宮拝賀を行った源実朝は、
神拝を終え、本殿正面石段を下りる際に、
石段際の大銀杏に隠れていた甥公暁に襲われ落命します。
享年27歳。







こちらがその在りし日の大銀杏ですが、
7年前の2010年3月10日未明、強風により倒壊。
現在はこのようになっております。







八幡宮拝賀の朝、実朝の髪を、家臣が整えていたところ、
櫛にまとったその髪を一筋取った実朝は、記念にせよと、その者に渡したと言います。

やがて、支度を終え、
式典に出るために、庭に降り立った実朝が詠んだといわれる和歌



出でて去なば
主なき宿と
なりぬとも
軒端の梅よ
春を忘るな



私が出て行ってしまったなら
この家は主人のいない家に
なってしまうけれども
軒先の梅たちよ
春になったら必ず咲いておくれ









まるで自分の運命を暗示していたかのような、
武家の棟梁とは思えぬ優しげで情感あふれる歌です。



なお、この短歌は、菅原道真が詠んだ

東風吹かば
にほひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ

本歌取り(ほんかどり)といわれており、
実朝は本歌取りを実に上手く使った歌人といわれています。

本歌取りとは、古歌を意識的に取り入れて、
新たな歌を作る和歌の表現技巧をいいますが、
それについての説明は、後日に譲るとして、
源実朝は和歌を好み、自ら金槐和歌集という歌集を編纂しました。

そして、そこに収録され、小倉百人一首にも採られている彼の歌



世の中は
つねにもがもな
なぎさこぐ
あまの小舟の
綱手かなしも



移ろいやすい世の中ではあるけれども
ずっと安らかであってほしいものだ
この海辺は平穏で
渚を漕ぎ出す小舟が引き綱を引いている光景が
しみじみと愛しく心にしみることだ


I know that everything in this world is forever changing,
and yet my wish is for lasting peace.
The scene of this tranquil beach,
dotted with fishermen casting their nets into the water,
has become very dear to me.







実朝の歌は「かなし」の世界であると感じます。
古語で「かなし」とは、愛しと悲し・哀しの意味を共に含むものであり、
その「かなし」を穏やかな目で見つめている実朝が、そこにいます。

実朝については、様々な作家著述家が作品を書いており、
ざっと挙げただけでも、
太宰治小林秀雄斉藤茂吉大仏次郎吉本隆明中野孝次橋本治といった人々がいます。

その中でも、太宰治は「右大臣実朝」において、
実朝の、その穏やかな心持ちを、宿命論的な諦念のようなものとして捉えていますが、
自分的には、ちょっと暗くて重すぎる印象があります。

自分の感じる実朝の穏やかさというのは、
もう少し自然体といいますか、宿命論みたいなものに縛られていない、淡々とした、
そんなものを感じます。
それは、実朝の和歌をいくつか読んで感じたことです。

正岡子規は、
「実朝といふ人は三十にも足らで、
いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。
あの人をして今十年も活かして置いたなら
どんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。
とにかくに第一流の歌人と存じ候。」
と、源実朝の歌を絶賛しています。

実朝の、人となり、心の内にあるものを知りたいと思う方は、
後世の著述家の書いたものではなく、
まず以て彼自身が詠んだ和歌に触れることをお勧め致します。
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