「或阿呆の一生」芥川龍之介
この「或阿呆の一生」は、芥川龍之介の遺作となる作品です。
本作品は、芥川の自死の1か月ほど前に、
自分の一生を顧みながら書かれたと考えられており、
全部で51のストーリーから構成されています。
その中に、ゴッホの絵に関して記したものがあり、
今回それを取り上げました。
短い文章ですので、ここで全文を掲載します。
「或阿呆の一生」
僕はこの原稿を発表する可否は勿論、
発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。
君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。
しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。
僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。
しかし不思議にも後悔してゐない。
唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを如何いかにも気の毒に感じてゐる。
ではさやうなら。
僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつもりだ。
最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは、
君の恐らくは誰よりも僕を知つてゐると思ふからだ。
(都会人と云ふ僕の皮を剥はぎさへすれば)
どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。
昭和二年六月二十日
芥川龍之介
久米正雄君
七 画
彼は突然、――それは実際突然だった。
彼は或本屋の店先に立ち、ゴオグ(ゴッホ)の画集を見てゐるうちに
突然画というものを了解した。
勿論そのゴオグ(ゴッホ)の画集は写真版だったのに相違なかった。
が、彼は写真版の中にも鮮やかに浮び上る自然を感じた。
この画に対する情熱は彼の視野を新たにした。
彼はいつか木の枝のうねりや女の頬の膨らみに絶え間ない注意を配りだした。
或雨を持った秋の日の暮れ、
彼は或郊外のガアドの下を通りかかった。
ガアド向うの土手の下には荷馬車が一台止まってゐた。
彼はそこを通りながら、誰か前にこの道を通ったもののあるのを感じ出した。
誰か?――それは彼自身に今更問ひかける必要もなかった。
二十三歳の彼の心には耳を切ったオランダ人が一人、
長いパイプを啣くはへたまま、
この憂鬱な風景画の上へぢっと鋭い眼を注いでゐた。
ゴッホと芥川龍之介はどこか似ているところを感じます。
ゴッホの絵の、何気ない草木の一筆一筆に思わずに見入ってしまい、
引き摺り込まれるのと同じく、
芥川の小説の何気ない言葉のひとつひとつの、
考え抜かれたその感性に
思わず引き摺り込まれるところがあるのです。
その作品の題名ひとつ取ってみても、
彼は、いったいどうやってこの言葉を思いついたのだろうと、
その深い心の奥行きに恐れおののいてしまうことがあります。
「枯野抄」参照http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/3791342.html
そして、いずれも、己の命をギリギリまで追い詰めて、
体いっぱい乗り出し、深い淵を覗き込むように表現を追求する
というような生き方においても、似ているような気がします。
この作品の中で、芥川はゴッホの画集を見ることで、
その感性が共鳴し、大きな広がりを見せています。
感性が共鳴するとは、悟りにも似た感覚があります。
それは突然やってきて、見る世界を一変させます。
芥川においては、過去の自分を見つめるビジョンが幽体離脱のように浮かび上がり、
絵の中のゴッホに、過去の自分が見つめられているような感覚。
かように鋭い感性を持ち、
その心象世界は素晴らしい広がりを見せていたでしょうに、
どうして自ら死を選んでしまったのか。
あまりにも広がりすぎた自己の感性の世界に、自らの立ち位置を見失ってしまったのでしょうか。
ちょっと分からないですけれども、
ただ芥川龍之介の場合、その書いたものを読むに、
ある種、都会的なひ弱さみたいなものを感じざるを得ないところがあります。
自己弁護をしていないと言いつつも、
ゴッホの書いたものと比べますと、
自己に懸かりきりというようなところを感じるところがどうしてもあるのです。
繊細でなければ、鋭く対象を感じ取ることができない。
しかし、その繊細さはひ弱さであってはならない。
その境界線はとても難しいものではありますが、
ただ、ゴッホも芥川も、そのギリギリのところを行き来しなかがら、
生きていたのだということは間違いありません。
芥川龍之介画「河童」