「ゴッホの手紙」4 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
この作品から感じ取れる尋常ならざる寂寥感と孤独。
極めて荒いタッチから醸し出される、ある種の生々しさ。
アルルの破綻から1年半がたった或る夏の日、
ゴッホは麦畑の中で絵を描いていた最中、
自分の胸を銃で撃って自殺を図りました。
ゴッホの死については謎があります。
彼は下宿に帰ってうずくまっているところを発見されているので、
直接銃を撃ったところを見た者はありません。
その時のエピソードが残っています。
医者が「大丈夫、助かるぞ。」と励ますと、
ゴッホは「それならもう一度撃たねばならない。」と言ったそうです。
駆けつけて泣きじゃくる弟テオに
「また、しくじってしまったよ」
と声をかけるゴッホ。
そして、「泣かないで。僕は皆のために良かれと思ってやったんだよ。」
と弟を慰めたそうです。
ゴッホは真夏のうだるような暑さの屋根裏部屋で、
2日間激痛に苦しんだ末、亡くなりました。
享年37歳。
ゴッホが銃で自らを撃った時、彼のポケットに入っていた最後の手紙の断片。
「君の思いやりある便りと、同封の50フラン札をありがとう。
いろいろなことを書きたいのだが、無駄だと思う。
紳士方が君に対していろいろ便宜を計ってくれるよう希っている。
君の家庭が恙ないと聞いて安心した。
良い場合も悪いときも想像していたので、そう言ってくれなくてもよかった。
五階住まいで子供を育てることが、
君にとっても奥さんにとってもどんなに重労働であるかが、なるほど見当つく。
順調にいっていればそれが何よりだ。
どうして肝心なことでもない問題に僕が執着する必要があるだろうか。
実のところ、もっと頭を冷静にして商売の話でも出来るようになるにはまだ先の事だ。
いま僕が言えるのはそれだけだし、
既に伝えたと思うが、ある程度の恐怖をもって自覚していた。
順調にいっていればそれが何よりだ。
どうして肝心なことでもない問題に僕が執着する必要があるだろうか。
実のところ、もっと頭を冷静にして商売の話でも出来るようになるにはまだ先の事だ。
いま僕が言えるのはそれだけだし、
既に伝えたと思うが、ある程度の恐怖をもって自覚していた。
別に隠そうとも思わなかった。だがそれだけのことだ。
他の画家たちがどんな風に考えていようとも、
無意識ながら実際の商売のこととは、およそかけ離れたことを考えている。
そうだ、僕らは自分たちの絵のことだけしか語れないのだ。
それでも、わが弟よ、 君にいつも語ってきたこと、それを今一度言おう。
繰り返して言うが君は単にコローの画商以上のものだと考えている。
僕を通じて何枚もの絵の製作に携わっているわけだから、
作品自体はこの苦難の中でも安定した状態を保っている。
僕自身の作品について言えば、それを描くために、自分は命を投げ出し、理性を半ば失ってしまった。
他の画家たちがどんな風に考えていようとも、
無意識ながら実際の商売のこととは、およそかけ離れたことを考えている。
そうだ、僕らは自分たちの絵のことだけしか語れないのだ。
それでも、わが弟よ、 君にいつも語ってきたこと、それを今一度言おう。
繰り返して言うが君は単にコローの画商以上のものだと考えている。
僕を通じて何枚もの絵の製作に携わっているわけだから、
作品自体はこの苦難の中でも安定した状態を保っている。
僕自身の作品について言えば、それを描くために、自分は命を投げ出し、理性を半ば失ってしまった。
でも僕の知る限り、君はそんじょそこらの画商ではないし、
君は自分の立場を選べるし、
僕の見たところ、真の人間らしさをもって振る舞うことができる。
だがいったいどうすればいいのだろうか・・」
ちょっと支離滅裂なところもあり分かりにくいですが、
その中でも弟とその家族を気遣う優しい心根と、
崩れゆく自己をみつめるゴッホの姿が垣間見えるものとなっています。
自分はゴッホの最期の様子に触れるたびに、
宮沢賢治の「よだかの星」と重なるところがあります。
よだかという鳥は、優しい心根を持っているにもかかわらず、
その見たくれの悪さから誤解され、社会に受け入れられず、
最後、弟のカワセミに別れを告げて、
一人空の高みに昇ってゆきます。
その最後の一節。
・・・・
よだかはもうすっかり力を落してしまって、
はねを閉じて、地に落ちて行きました。
そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、
よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。
そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、
ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。
君は自分の立場を選べるし、
僕の見たところ、真の人間らしさをもって振る舞うことができる。
だがいったいどうすればいいのだろうか・・」
ちょっと支離滅裂なところもあり分かりにくいですが、
その中でも弟とその家族を気遣う優しい心根と、
崩れゆく自己をみつめるゴッホの姿が垣間見えるものとなっています。
自分はゴッホの最期の様子に触れるたびに、
宮沢賢治の「よだかの星」と重なるところがあります。
よだかという鳥は、優しい心根を持っているにもかかわらず、
その見たくれの悪さから誤解され、社会に受け入れられず、
最後、弟のカワセミに別れを告げて、
一人空の高みに昇ってゆきます。
その最後の一節。
・・・・
よだかはもうすっかり力を落してしまって、
はねを閉じて、地に落ちて行きました。
そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、
よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。
そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、
ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。
その声はまるで鷹でした。
野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、
ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
よだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
よだかはのぼってのぼって行きました。
寒さに息はむねに白く凍りました。
空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、
ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
よだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
よだかはのぼってのぼって行きました。
寒さに息はむねに白く凍りました。
空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。
つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。
よだかははねがすっかりしびれてしまいました。
そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。
つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。
よだかははねがすっかりしびれてしまいました。
そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。
そうです。
これがよだかの最後でした。
もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、
わかりませんでした。
ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、
たしかに少しわらって居りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。
そして自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
すぐとなりは、カシオピア座でした。
天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、
たしかに少しわらって居りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。
そして自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
すぐとなりは、カシオピア座でした。
天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
「刈る人のいる日の出の麦畑」
「これからの絵画は、後光などではなく、
輝きそのものによって、我々の色彩の振動によって永遠なるものを求めるのだ。・・・・
星によって希望を表現すること。
夕陽の輝きによってある人間の激しさを表現すること。
もちろんそこには表面的な写実はない。
しかし、それこそ実在するものなのではないだろうか。」
「これからの絵画は、後光などではなく、
輝きそのものによって、我々の色彩の振動によって永遠なるものを求めるのだ。・・・・
星によって希望を表現すること。
夕陽の輝きによってある人間の激しさを表現すること。
もちろんそこには表面的な写実はない。
しかし、それこそ実在するものなのではないだろうか。」
自分がここで紹介したゴッホの手紙の内容は、その中のごく一部に過ぎません。
ぜひ御自身でお読みになることをお勧めします。
そうすれば、ゴッホの姿がよりはっきりと、息づく生きたものとして、
皆さんの目の前に現れることと思います。