らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】34 始皇帝










始皇帝は、その名であるファーストエンペラーが示す通り、
歴史上非常に偉大な人物です。
良い意味でも悪い意味でも、それは突き抜けているといえるでしょう。

それでは、具体的に始皇帝とはどのような人物だったのでしょうか。

その容貌について、司馬遷史記に次のような記述があります。 
「鼻が高く、目は切れ長で、 胸は鷹のように突き出ており、声は豺狼(やまいぬ)の如く、
恩愛の情に欠け、虎狼のように残忍な心の持ち主であった。」


始皇帝については、以前においては暴君というような捉え方が支配的でしたが、
最近では、映画などを見ましても、孤独な独裁者という捉え方が多いようです。

この記事では、それらの視点とはやや異にし、
全世界の富を自分のものにした人間という観点から、
始皇帝について述べようと思います。

以前、記事に書きました、欲の行き着く先という話と軌を一にするものです。



始皇帝は、春秋戦国時代数百年間多くの国に分裂していた中国を統一しました。

始皇帝の宮殿阿房宮には滅ぼした国の宮殿を移築し、
それはとんでもない規模の豪華さを誇ったといわれています。
宮殿には一万人が収納できる広間があり、
その回りは回廊でつながれていました。
その他金銀財宝の類いなど、あらゆる全ての富を手中にしたと言ってよいでしょう。

東夷の島国で庶民をやっている自分としては、
世界中の富を全て手に入れて、なんと羨ましいと思うところですが、
富の全てを手中にした人間の心情というのは、実はそうでもないようです。

全ての富を手中にしたという状態。
それを完全に満たした者は、
その完全な状態が欠けることをひどく恐れてしまうものなのです。
純白の布地に僅かな一点のシミすらつくことを許さないといいましょうか。

すなわち、全てを手中に入れた者は、全てを手に入れたという満足感よりも、
手に入れたものを、少しでも失ってしまう恐怖感の方がはるかに大きいのです。

始皇帝はこの世で自らが手に入れたものを失わぬよう、
この世で永遠に生き続けるための妙薬を求めました。
一説には妙薬として水銀を飲み続けたとも言われています。

しかし、始皇帝は統一後、10年にして、地方の巡察途中で亡くなります。
享年49歳でした。

始皇帝の死により中国各地で反乱が起こり、
彼の死後3年にして、秦は滅び、始皇帝の血統は全て絶え、
壮大な宮殿は灰燼に帰し、その金銀財宝には全てを奪われました。

生きてるうちに自分の手に入れたものを失わぬよう
考え得るあらゆる手を尽くしたにもかかわらず、
あっけなく全てを失ってしまうという点は、
なんとも儚(はかな)いなことであります。


始皇帝は、不老不死の妙薬を求める一方で、
自分が死んだ時のために巨大な陵墓も用意していました。

秦が滅亡し、全てが灰燼に帰し、
長年、始皇帝の墓は謎とされてきましたが、
今から数十年前、井戸堀りの途中で、
農民がたまたま等身大の陶器の人形(俑)を発見しました。





それが秦の兵馬俑です。







掘り出されたのは、ほんの一部だと言われていますが、
一部にしてその壮観さ。

始皇帝陵は、周囲25Km、高さ100m、その深さは30mにも及ぶといわれます。






始皇帝が如何に強大な権力を持っていたか窺い知ることができます。

しかし発掘されたのは、その陵墓のごく一部であり、
墓自体の発掘はまだ為されていません。
兵馬俑の近辺で大量の水銀が検出されており、
司馬遷史記に、始皇帝の墓に海を模して水銀を大量に使ったゆえの記載があることから、
その辺りが始皇帝の陵墓であると言われています。

その中から一体何が出てくるのでしょうか。

史書によると、墳墓の建築に携わり、その秘密を知っている工匠や後宮の女性達を、
ことごとくその中に閉じ込めて生き埋めにしたと言われていますので、
まず、その墓から出てくるのは、その時殺された人々の数千単位の大量の骸骨。

海と空を模したといわれる広寥とした地下宮殿といわれた空間、
金銀で彩られた墓室。
そして、迷路のように幾重にもめぐらされた回廊の一番奥に
始皇帝その人の遺体を納めた棺。

なお、墓には侵入者を防ぐため、
自動的に矢が発射される仕掛けが随所に施してあるともいいます。


ある意味、始皇帝ほど生に執着した人間はおりません。
始皇帝はさぞ死が恐ろしかっただろうと思います。
現世で支配してきたもの全てを残して、
この世を去らなければならなかったのですから。
全ての富を有しているがゆえに、
それを失うことに耐えかねる日々を鬱々と送っていたかもしれません。
しかし、それをなんとしてでも失うまいとする巨大な情念。

彼が造った巨大な陵墓からは、そのような思いが垣間見えるような気がします。