らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「翔ぶがごとく 8巻」司馬遼太郎










若き日の乃木大将。
西南戦争時は少佐でした。




この巻は、西郷が西南戦争で鹿児島を出発するところから、
熊本城を攻撃し、田原坂の戦闘が開かれようとするところまでが描かれています。

冒頭、作者は、維新前までは西郷は策略家と言っていいほどのキレる人物であったのに、
維新後は愚鈍な感じが否めないと言います。
その理由を、維新が成った明治2年、西郷が故郷鹿児島でウサギ狩りをした際、
山の傾斜地で滑って切り株に頭を強打した後遺症なのではないかと言っています。
その事故以来、頭が痛いと寝込むことも多々あったそうで、
もしそれが本当だとするならば、歴史を大きく変えるウサギ狩りだったわけで (^_^;)

しかしそんな例は歴史上結構ありまして、
秦の始皇帝が不老不死の薬として飲んでいた鉛の粒が脳に入り、
晩年益々性格の凶暴化を招いたという話もありますので、決して馬鹿にはなりません。


それにしても、司馬遼太郎さんの細かな資料にまで目を通す徹底ぶりには、
読んでいて驚嘆させられます。
司馬さんが新作を書く時は、神田の古本屋街が動くとまで言われた書籍の資料のみならず、
田舎の旧家にある個人の日記なども出かけていって見に行っている。
当時はコピー機なども無かったでしょうから、
コピーを送ってもらうことなどもできなかったはずで、
司馬さんの歴史上の人物を追求しようとする執念には驚かされます。

そのような様々な資料を読み込んで、
◯◯とはこういう事だったんだと言われてしまえば、
納得せざるを得ない説得力があるわけで、
司馬作品は、小説であるのに読んでいる者が史実と錯覚してしまうという話がありますが、
実際、作品を読んでみて、これは仕方ないと思うところがあります。
豊富な資料から選り出した事実の描写に説得力があるんです。

しかし司馬作品にはやはりちょっと独特のクセがあります。
例えば、戦いに敗れたり、犠牲が多く出た責任を一個人の資質に集約してしまうと言いますか、
坂の上の雲」の乃木大将などはそれの典型ですが、
翔ぶが如く」でも、乃木大将は多くの場面で登場します。

以前、乃木さんが西南戦争序盤の戦いで軍旗を奪われた話をしましたが、
https://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/16384530.html
実は、その後の戦いでも、乃木さんは軍旗のみならず、
食料弾薬、最新式の銃、彼自身の外套軍服など色々なものを西郷軍に奪われているんです笑

それを司馬さんは、乃木さんの臨機応変の機転の無さや、
こうだと思ったら修正することがない観念論的思考に原因を求め、
結構冷ややかな目で彼を批判しています。

しかし、田原坂の前後の西郷軍は戦意盛んで、野戦はめっぽう強いと言われていましたし、
兵数も乃木さん率いる政府軍を上回っていました。
ですから、その敗北を乃木さんの資質に全て帰するのは、ちょっと酷なような気がします。

個人的には、乃木さんは生真面目な責任感の強い人だったと思います。
そういう性格が、上役や先輩から可愛がられ、彼を引き立ててやりたいと思われたのだと感じます。
西南戦争時の山県有朋や、日露戦争明治天皇などはその最たるものでしょう。
そのような人を惹きつける資質は、軍官にとって非常に重要なものです。
なぜなら、その人の判断に自分の命を託しても構わないと思せるわけですから。

しかし、司馬さんのように太平洋戦争で、
硬直した非合理な命令にこっぴどくやられた経験をがある人にとっては、
結果、彼の判断が多くの部下を死に追いやる、胡散臭い部分が前面に出てしまうわけです。

この作品の乃木さんも、プライドが高く自意識過剰なくせに、
臆病で判断があやふや、瑣末なことにとらわれ、肝心なところで鈍く、センスのかけらもなく、
結果、敵に物資を奪われ部下は死に、自分自身は生き残る人物として描かれています。

これは司馬さんが、太平洋戦争で、自ら接した上官そのものの姿と言ってよいのでないか。
いや乃木さんの、そのような因子が太平洋時の軍官と重なり合う部分を見つけたというべきでしょうか。

ですから、やっぱり司馬さんの作品は、司馬さん自身の体験にデフォルメされた
歴史観で描かれたものと言わざるを得ないと感じます。






太平洋戦争時の司馬遼太郎さん。
動作が遅く、人一倍上官から殴られたそうです。