らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「関ヶ原」司馬遼太郎











言わずと知れた日本を二つに分けて行われた
戦国時代最後の天下分け目の大合戦。
日本全国のほとんどの大名を巻き込んで、雌雄を決した戦いで、
この司馬遼太郎関ヶ原」は、
戦いに臨んだ大名達の人生観や思惑といったものを見事に描き分けています。

ある者は義に生き、
ある者は友情を重んじ、
ある者は功利を求め、
ある者は憎しみに動き、
ある者は最後まで悩み続ける。

それらを丁寧に描き上げたこの作品、
天下分け目の、あまたの大名の命運を分けた「関ヶ原」にふさわしい傑作と感じます。

物語の軸は、秀吉亡き後、天下を我が物にしようとする徳川家康と、
秀吉の恩顧に報い豊臣政権を支えようとする石田三成との対立が中心となっています。

この作品の石田三成は少々青臭くて、きぶいところがあります。
自分は正義に立っているゆえ、邪(よこしま)な家康に従うべきでなく、
他の者も正義に従うべきなのだという、
少々演繹法的で、頑(かたく)ななところがありますが、
それに対し徳川家康はそれぞれの大名の思惑を読み抜き、
ある時は籠絡し、ある時は脅し透かし、ある時は憎しみを増幅させ、
多くの大名を味方に引き入れていきます。

この作品、様々なキャラクターの大名が出てきますので、
読む者の視点によって色々な捉え方があると思いますが、
今回自分が目を引いたのは、人は何によって動くかということ。

大方の人間は損得を秤にかけ、得な方に動きます。

また、憎しみを抱く者は思考が単純化、近視眼的になり、
憎しみの存在にひたすら突き進むのみの存在と化します。

そして、意志の弱い者は恫喝によって、相手の意のままにさせられてしまう。


しかし、大半の人間が、そのような損得や自我の感情、他人の脅しに動かされるからこそ、
石田三成との友情を貫いた大谷吉継や、世の中の義を貫こうとした上杉景勝のような存在の
輝きが増すといえるのかもしれません。

この作品、様々なキャラクターの大名が出てくるので、
読む人それぞれに好みがあると思うんですが、
自分が一番感じ入ったキャラは、
やはり大谷吉継でしょうか。

一度は親友石田三成を見放し、徳川家康に合流しようとするも、
昔、三成と茶会であったことを思い出し、引き返して三成に合力するシーンは、
この作品の中でも際立った名シーンだと思います。



病で顔が醜く崩れた自分の茶など誰も飲もうとしなかった。
口をつけたふりをしただけで、皆、そそくさと茶碗を回していく。
それは自分でもわかっていた。病気だから仕方がない・・・
だが三成だけは真っ直ぐに向き合って自分の茶を飲んでくれた。

もはや病に崩れて目も見えぬこの命、三成にくれてやる。



皆さんはどの大名の生きざまが心に残ったでしょうか。
おそらくそれぞれにあることと思います。

最後に、作者は、石田三成率いる西軍が負けた理由を、
朝鮮の役で国内が疲弊し、人々が豊臣政権を見放していたということ言いますが、
それはどうでしょうか。
信長が死に、織田から豊臣に政権が変わったのと同じく、
秀吉が死に、豊臣から徳川へ政権が変わってゆく過渡期。
力ある者に与力するのは戦国のならいなれど、
徳川と豊臣の力はかなり拮抗したように思います。
そういう意味では、豊臣恩顧の西軍が勝つ可能性も十分にあったと思われるのですが、
幼少の頃から人質生活で人生の辛酸を舐め尽くし、
生き残るための人間洞察を絶えず強いられ、
人間とは何によって動くのかを熟知した徳川家康にしてやられた感があります。
そして、全国の野心に満ちた荒くれ大名たちを実際動かすことができたのは、
戦国の世を生き抜いてきた最後の大物
徳川家康にしかできなかったのではないかとも思います。




この「関ヶ原 」、自分は過去にTBSテレビでドラマ化された作品を気に入っています。
加藤剛三船敏郎杉村春子三田佳子松坂慶子栗原小巻宇野重吉三國連太郎
三浦友和竹脇無我丹波哲郎森繁久彌など、
往年の超豪華キャストが物語に重厚さを増していますが、
何よりも演技する者の間合いと申しましょうか、間の取り方が素晴らしい。








そして近年、映画化もされましたが、自分は残念ながら、それを見ておりません。
どのあたりに重点を置いて描いていたか気になるところです。
ご覧になった方いかがだったでしょうか。

映画を見た友人曰く、「壇蜜の尼僧がよかった」
だそうです笑