「春」芥川龍之介
広子と辰子は血を分けた姉妹ですが、
姉広子は現実主義的な合理主義者であるのに対し、
妹辰子は理想主義的な情熱家であり、
ある意味、全く正反対の性格をもった女性です。
とある春の日、広子は、妹辰子から或る男性と結婚したい旨を手紙で告げられます。
その相手とは、広子も以前会って知っている篤介という男性でした。
篤介は洋画研究所の生徒で、
かつて姉妹は、その容貌から猿と密かにあだ名し、
半ば馬鹿にし、嫌悪さえ感じていた存在でした。
それなのに妹辰子はその篤介と結婚すると言い出した。
なぜ篤介に好意を抱くようになったのか、
嫁ぎ先の京都から東京の実家に帰る道すがら、
昔の辰子の態度を思い返しても、思い当たるふしがありません。
むしろ思い当たるのはその反対の態度ばかり。
手紙の文面を読んでも要領を得ず、
帰郷して辰子本人と会って話をしますが、
のれんに腕押しといいますか、
要領を得た納得できる解答を得られず、モヤモヤした気持ちのままの広子。
そして、広子は妹の相手篤介と直接会う段取りとなり、
その場で、どうして二人が結婚を約束する仲にまでなったのか、
その真相を明らかにしようとします。
この、妹辰子の手紙→辰子本人→篤介と、
徐々に広子の知りたい核心に近づいてゆくにもかかわらず、
思うように真相が明らかにならなくて、
一向に謎が解消されない。却って謎が深まってゆく。
このストーリーの運びは非常に巧みで上手く、ぐいぐいと読ませます。
そして作品中に描写される風景及び小物の情景ひとつに至るまで、
広子の、驚き、イラつき、とまどい、モヤモヤした気持ちといったものや、
辰子と篤介の仲への、不快感と好意との微妙な心の揺れ動きといったものと、
全て有機的に結びついており、
読者の注意を決して他にはそらさず、対象にぐっと引きつけて離しません。
芥川龍之介は、おそらくミステリーを書かせても
非常に素晴らしい作品を世に送り出すことができただろうなと感じます。
物語後半、広子は篤介に直接会って、
彼に対し心理的優越感を抱きつつ、じりじりと篤介を追いつめてゆく、
それが徐々に煮詰まってきて、この後どうなるんだろうと、
読んでいて、こちらも、否が応でも気持ちが高まってきます。
姉広子は現実主義的な合理主義者であるのに対し、
妹辰子は理想主義的な情熱家であり、
ある意味、全く正反対の性格をもった女性です。
とある春の日、広子は、妹辰子から或る男性と結婚したい旨を手紙で告げられます。
その相手とは、広子も以前会って知っている篤介という男性でした。
篤介は洋画研究所の生徒で、
かつて姉妹は、その容貌から猿と密かにあだ名し、
半ば馬鹿にし、嫌悪さえ感じていた存在でした。
それなのに妹辰子はその篤介と結婚すると言い出した。
なぜ篤介に好意を抱くようになったのか、
嫁ぎ先の京都から東京の実家に帰る道すがら、
昔の辰子の態度を思い返しても、思い当たるふしがありません。
むしろ思い当たるのはその反対の態度ばかり。
手紙の文面を読んでも要領を得ず、
帰郷して辰子本人と会って話をしますが、
のれんに腕押しといいますか、
要領を得た納得できる解答を得られず、モヤモヤした気持ちのままの広子。
そして、広子は妹の相手篤介と直接会う段取りとなり、
その場で、どうして二人が結婚を約束する仲にまでなったのか、
その真相を明らかにしようとします。
この、妹辰子の手紙→辰子本人→篤介と、
徐々に広子の知りたい核心に近づいてゆくにもかかわらず、
思うように真相が明らかにならなくて、
一向に謎が解消されない。却って謎が深まってゆく。
このストーリーの運びは非常に巧みで上手く、ぐいぐいと読ませます。
そして作品中に描写される風景及び小物の情景ひとつに至るまで、
広子の、驚き、イラつき、とまどい、モヤモヤした気持ちといったものや、
辰子と篤介の仲への、不快感と好意との微妙な心の揺れ動きといったものと、
全て有機的に結びついており、
読者の注意を決して他にはそらさず、対象にぐっと引きつけて離しません。
芥川龍之介は、おそらくミステリーを書かせても
非常に素晴らしい作品を世に送り出すことができただろうなと感じます。
物語後半、広子は篤介に直接会って、
彼に対し心理的優越感を抱きつつ、じりじりと篤介を追いつめてゆく、
それが徐々に煮詰まってきて、この後どうなるんだろうと、
読んでいて、こちらも、否が応でも気持ちが高まってきます。
しかし、さあ、謎解きはこれからというところで
この小説は未完で終わるのです。
そう、何らかの形で創作が中断されて、
作者の死により、続きを読む機会は永久に失われてしまったのです。
しかしながら未完の小説というものは、
通常の小説とはまた別の楽しみ方があるように自分は思います。
それは、作者はこの物語を、この後どのように展開するつもりだったんだろうと
自分自身の思い入れも交えながら想像を巡らせてみることなんです。
この作品は、ストーリーの流れの感じからして
当初の広子のもくろみとは異なる意外な形で、結末を迎えるように感じます。
つまりは広子は、最終的には篤介と妹辰子との結婚を
納得せざるを得なくなる結論になると思うのですが、
そのきっかけになる仕掛けが、
「春」という題名の中に潜まれているように感じます。
それは、作者はこの物語を、この後どのように展開するつもりだったんだろうと
自分自身の思い入れも交えながら想像を巡らせてみることなんです。
この作品は、ストーリーの流れの感じからして
当初の広子のもくろみとは異なる意外な形で、結末を迎えるように感じます。
つまりは広子は、最終的には篤介と妹辰子との結婚を
納得せざるを得なくなる結論になると思うのですが、
そのきっかけになる仕掛けが、
「春」という題名の中に潜まれているように感じます。
冬の間、ずっとつぼみを閉じて外に開くことのなかった花々が、
春になって一気に咲き誇るように
篤介に心を閉ざしていた広子の心が一気に開かれる何かが起こる。
あの「蜜柑」で小娘が蜜柑を外に向かって投げた瞬間のように。
でもそのきっかけが何なのか、自分には見当がつかない(^_^;)
ただそれが「春」を暗示するものであることは間違いないと思うのです。
そして、姉広子は妹辰子と異なり現実的な合理主義者であり、
夢見がちな性格である妹辰子と要領を得ない篤介に対して、
心理的優越を抱いていたわけです。
このような広子の優越感をひっくり返してしまうような結末になるのではないかと感じます。
現実主義者、合理主義者だから正しいというような、
それは社会一般の意識でもあるのですが、それを覆す結末になるのではと。
そういう性質の人間の陥りやすい盲点みたいなものを鋭く指摘しながら。
ただし、辰子と篤介はしてやったり、広子はがっくりとうなだれるというような
単なる勝ち負けのようなものではなく、
広子自身の心の、冬のような疑心暗鬼の陰鬱とした霧がさっと晴れるような、
彼女の心にさーっと暖かい春風が吹き込むような
そういう描写が用意されていたのではないかと自分は想像しています。
春になって一気に咲き誇るように
篤介に心を閉ざしていた広子の心が一気に開かれる何かが起こる。
あの「蜜柑」で小娘が蜜柑を外に向かって投げた瞬間のように。
でもそのきっかけが何なのか、自分には見当がつかない(^_^;)
ただそれが「春」を暗示するものであることは間違いないと思うのです。
そして、姉広子は妹辰子と異なり現実的な合理主義者であり、
夢見がちな性格である妹辰子と要領を得ない篤介に対して、
心理的優越を抱いていたわけです。
このような広子の優越感をひっくり返してしまうような結末になるのではないかと感じます。
現実主義者、合理主義者だから正しいというような、
それは社会一般の意識でもあるのですが、それを覆す結末になるのではと。
そういう性質の人間の陥りやすい盲点みたいなものを鋭く指摘しながら。
ただし、辰子と篤介はしてやったり、広子はがっくりとうなだれるというような
単なる勝ち負けのようなものではなく、
広子自身の心の、冬のような疑心暗鬼の陰鬱とした霧がさっと晴れるような、
彼女の心にさーっと暖かい春風が吹き込むような
そういう描写が用意されていたのではないかと自分は想像しています。
作者の意図に引きずられず、私ならこうするという「創造」でも面白いのではないかと。
何か思いついたものがあれば是非教えていただければと思います。