「地震雑感」寺田寅彦
このたびの熊本地震で亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、
被災された方々に対しまして心よりお見舞い申しあげます。
今回の作品は関東大震災を経験した夏目漱石の門弟である物理学者寺田寅彦が、
地震について、その概念、震源、原因、予報と項立てして、その雑感を記したものです。
1923年に関東大震災がありましたので、今からほぼ100年前の話です。
当時に比べれば、確かに地震については、
かなりの科学的解明が進んだようにも感じられます。
例えば、震源を特定などについては、PS波計測機器の高度化、ネットワーク化などにより、
かなり正確に特定することができるようになっているのではないでしょうか。
しかしながら、地震の起こる原因については、それほど解明が進んでいないようにも思います。
例えば、今回の熊本地震においても活断層がその原因だと言われていますが、
日本に無数にある活断層の中で、なぜ熊本の活断層が今回動いたのか、それは解明できていない。
いろいろな説明がなされていますが、多分に後付けのような気がします。
原因がわからなければ、予知ができないのは当然で、
現に地震学者の誰も今回の熊本の大地震を予知することができなかったわけです。
ただ、地震の予知というものは非常に奥の深い問題のようでありまして、
寺田寅彦が皮膚病を解明するのにその患部の皮膚ばかり気を取られては駄目で、
体の生理全体についての解明がなされなければ解決しえないと述べているのは言い得て妙で、
地震の原因の特定は、より大きな地球的観点から為されなければならず、
その究明を待つしかないのかもしれません。
しかし、それを待っていては、それまでに起こる地震に対処できない。
だとしたら、当たるか当たらないかわからない予報にかけるよりも、
必ず地震が起こると腹をくくって、それに対する準備をした方がよい。
こちらは最大震度マップといわれるものです。
これを見る限り、日本列島にいる限り、大地震から免れないことがわかります。
http://kojishin.iinaa.net/shindo_max.html
備えあれば憂いなし。
言うは易いのですが、人間は自ら体験していないことに用意して備えるということは、
実は意外と至難の業です。
今回の熊本地震の被災者の方々の様子をみましても、
やはり東日本の人間に比べると、地震に対する意識は稀薄であったように感じられます。
でも、それは当たり前なんです。
体験しないことはなかなか想像することができない。それが普通の人間なんです。
であれば、未体験のことは観念的に頭で考えるより、
体験した方から教わるのが最も合理的です。
やはり1週間は自力で凌げる食料、水、燃料、防寒具など必要なものを用意せねばならないでしょう。
大きな地震ともなれば、一つの町一つの村の被害に止まらず、
県単位の被害が生じ、被害を把握するだけでもかなり時間がかかります。
そういう意味では、地震発生3日にして、おにぎり1個でも1日3食1人ずつ行き届いている
というのは奇跡的にすら感じます。
まさかという時に来るのが天災というものです。
いつ起こるかわからないものに対して用意をするのは、
実際、なかなか困難なことです。
しかし、それをしなければ、いざという時に進退窮まってしまうような事態が起こりかねません。
「天災は忘れた頃にやって来る」
寺田寅彦の有名な警句です。
日本に住む限り、肝に銘じなければならない言葉でしょう。
それにしても、今回の熊本地震の災害規模は、東日本大震災に匹敵するものにもかかわらず、
死者の数に格段の差があったのは、やはり津波による被害の差でしょう。
100年前の関東大震災が東日本大震災以上の10万人の死者を出したのは、
主に火災によるものですが、
ある意味、津波のように一気に火炎が人々を舐めつくしていったのだと思います。
恐ろしいことです。
しかし、それはまた再び起こり得ることでもあるのです。