らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「アンドロギュノスの末裔」渡辺温








2月は「恋」をテーマに色々な作品を読んできましたが、
それを総括するものとして、
今回いろいろ紹介してきた渡辺温の作品で締めくくりたいと思います。 


今回紹介するのは「アンドロギュノスの末裔」。

まずこの作品について述べる前に、アンドロギュノスは何か
ということについて、ちょっと説明しておく必要があります。

古代ギリシア神話によりますと、
最初の人間は、頭が二つに手足が四本ずつあって、
今の人間二人が背中合わせにくっついたような形で、丸い体をしており、
男と男、女と女、そして男と女の組み合わせの、三種類の人間がありました。

この中の男と女が一体となっていた人間のことを、
ギリシャ語で男性を意味する「アンドロ」と、女性を意味する「ギュノス」から
アンドロギュノスといいます。







その人間たちは、神も恐れぬ不遜な態度だったので、
ゼウスによってその体を二つに裂かれてしまい、
人間は現在のような男と女が分かれた形となり、
それ以来、かつて一体だった分身を求め合うようになったということです。

ギリシャ人って面白いことを考えると思います。
そうしますと、人は自己の欠損部分を求めて、恋しい人を求めるということになりますが、
渡辺温は、そうすると割符がぴったり合うような出会いがあるまで、
人は幾多もの恋を経験しなければならないということになってしまう。
しかし、それはちょっと違うのではないかと感じているようです。

作中のY君は、ある女優に恋をし、
雨の日も雪の日も彼女を一目見んと彼女の家のそばの公園に通いますが、
遂に結ばれるどころか、会うことも叶いませんでした。
それどころか、彼を口説けるか賭けで遊んでいた遊女と、
一夜とはいえ、結ばれてしまいます。

Y君と女優とは対照的な人間であり、ある意味、割符の凸と凹の関係で、
自己の欠損部分を補い合うという意味ではピッタリともいえるのですが、
結ばれ合うことはありませんでした。


男と女。男と女。――たった二種類しかない人間が、
何故せつない恋に身を焦がしたりしなければならぬのであろうか?
渡辺温はこのような命題を読者に投げかけます。


それでは、そもそも恋の成就とは何を以ていうのでしょう。

恋の成就をアンドロギュノスの割符と考えると、
例えば、一旦結ばれた二人が途中で他の相手に心奪われてしまった場合、
実はその二人は割符の関係ではなかったことになるのではないのか。
そうすると、選んだ相手が自分にぴったりの割符であったのか、 
悶々としながら相手の挙動をずっと見守る、狭苦しく、息苦しいものになりかねません。

果たして、そのような恋は人間を豊かにするものと言えるでしょうか。


そもそも恋とは、たったひとりの人に捧げてしまえば、
もう他に捧げることのできないものではない。と感ずるところが、実は自分にはあります。

恋とは、たったひとつきりのものという考えは崇高なようですが、
そのような独占的考え方は、ある種のレンジの狭さを感じさせます。

複数の相手に同時に恋をすることは罪悪であるというのは、
一神教たるキリスト教的禁欲主義的及び現代の倫理を形成するものではあります。
しかしながら、自分は、それは人間に自然発生する恋心を、
ひとつの型に無理矢理押し込め歪(いびつ)なものにしてしまうと感じるところがあります。

恋というものをじっと観察しますと、
それは純粋で素直でシンプルで、なによりも自然なものです。

確かに相手を独占できない恋は苦しいものです。
しかし、カップルになったり、結婚することは、
恋の到達点のひとつではありますが、全てではありません。

なぜなら、恋の本質とは、
その人にふさわしい人間になりたいと、
人を善の方向に向け得るところにあると強く思うからです。

恋をすると、相手に不快に思われぬよう自らを正したり、
相手の役に立ちたい、相手を助けたいと思う。
まさにそれが恋の本質であると自分は思います。

恋の本質は独占ではありません。
それを見誤ってはなりません。
それにとらわれすぎると恋は人を傷つけ、苦しめる道具となってしまうことがあります。

そういう意味では、渡辺温及川道子の恋は、結婚はできませんでしたけれども、
二人の恋はお互いをより高め合い、成就したといってもよいのではないかと感じます。

また、先の記事「雨上がりの傘」の、少女に傘を渡した少年の恋も
成就したといえるのではないかと考えています。
なぜなら、それは相手に恋することにより、
その人の為になる事をしてあげたいという彼の善の心が形になって現れているからです。

往々にして現代人は恋の仕方を間違っているのではないかと感じます。
恋とは一人にすれば、それに縛られてしまう一神教的な、
人間の心を拘束してしまう堅苦しいものではなく、
もっと広く人間を豊かにする自然なもののはずです。

ですから、既婚者であっても、又いくら年を取っていても、
大いにおおらかで健やかな恋をすべきなのです。
そして、それは人間を善の方向に導いてゆくものなのです。そう思います。









渡辺温「アンドロギュノスの末裔」