「恋」渡辺温
恋とはとても強いエネルギーを持っていて、
時によっては自らを顧みないほどのものであるにもかかわらず、
その気持ちを意中の相手に告白する段になると、
なぜか途端に内気な恥ずかしがりやになってしまう不思議な内向きものです。
相手になんでこんな嘘を言ってしまったのだろうということを言ってしまったり、
何の気も無いようなふりをしてしまったり。
相手に自分の気持ちを知って欲しいと人一倍思っているのに、
なぜかそれを上手く伝えることができない。
それは第三者から見れば、
何をそんなところで、もじもじしているのだろうと思ってしまう不可思議なものでもあります。
この物語の、年上の女優と内気な童話作家の青年の二人もそうです。
相手の気を引くためにわざと海で溺れてみようと、
女性がとんでもない計画をたてたり、
相手の一挙手一投足をつぶさに見つめているにもかかわらず、
何も思っていない素知らぬふりをしたり、
お互い気のある風でありながら、なかなかその一歩を踏み出すことができません。
しかし、ある時、ついに、内気だった青年が女性に声をかけます。
恋の告白というのは、たとえそれが他人のものであってもドキドキしてしまうものですが、
しかし、青年のそれは、あなたが好きです。というようなストレートなものではなく、
その告白を読んでいて、??となってしまう、
何度も読み返さなくてはならないような、
一体何が言いたいんだという皆目検討のつかないものです。
真面目に聞いていると、この青年は、実は女性の生き別れた血の繋がった兄なのではないか
というようなミステリーチタッチで、
ちょっと読んでいてハラハラしてしまうのですが、
そこはさすが、年上の女優。
青年の嘘の作り話を、その心の意図するところを見抜いて、
いかに自分のことが好きであるのかという部分を切り取って、
途中から青年のしどろもどろの嘘を楽しみながら聞いている風でもあります。
中には、好きな相手の告白で、こんな嘘をつくなんて、
と怒る方もおられるかもしれません。
しかし、そこは恋の素晴らしさ。
青年のつまらない小細工の嘘の部分は全部押し流して、
彼女が恋している彼の心の一番大事な部分だけを掴み取り、
しっかりと逃すことがありません。
そして、青年の、自分に対する想いを確信した時、
「女優は、そしてまるで楽しいピアノのような音を立てて笑いくずれました。」
ちょっとコミカルで、まるで舞台のような恋の大団円。
こういう恋の顛末は、見ていて、楽しくもあり、また羨ましくもあります。
得てして恋とは相思相愛であっても成就しないものですから。
渡辺温「恋」