「赤い煙突」渡辺温
今回も引き続き、渡辺温の作品を紹介します。
今回は「赤い煙突 」という作品です。
病弱な少女が窓から見える向かいの家の3本の煙突を見ては、
煙の出ない真ん中の小さな赤い煙突を、病弱な自分になぞらえ、物思いに沈んでいます。
読み進めていくと、これはどこかで聞いたことのある物語と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
お察しの通り、これは、O.ヘンリーの「最後の一葉」に話によく似ています。
そこに、ある青年が現れ、この少女と懇意になります。
実はこの青年は向かいの煙突の家に住む子息なのですが、
しばらくすると、なぜか煙が出ないはずの赤い煙突から煙がもくもくと出るようになり、
少女はしだいに元気を取り戻します。
そうして二人の仲が高まってきたところで、
青年は少女の前にぱったりと姿を現さなくなり、彼女に別れを告げます。
時は経ち、その後、ひょんなきっかけで、なぜ赤い煙突が煙を出すようになったか、
今回は「赤い煙突 」という作品です。
病弱な少女が窓から見える向かいの家の3本の煙突を見ては、
煙の出ない真ん中の小さな赤い煙突を、病弱な自分になぞらえ、物思いに沈んでいます。
読み進めていくと、これはどこかで聞いたことのある物語と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
お察しの通り、これは、O.ヘンリーの「最後の一葉」に話によく似ています。
そこに、ある青年が現れ、この少女と懇意になります。
実はこの青年は向かいの煙突の家に住む子息なのですが、
しばらくすると、なぜか煙が出ないはずの赤い煙突から煙がもくもくと出るようになり、
少女はしだいに元気を取り戻します。
そうして二人の仲が高まってきたところで、
青年は少女の前にぱったりと姿を現さなくなり、彼女に別れを告げます。
時は経ち、その後、ひょんなきっかけで、なぜ赤い煙突が煙を出すようになったか、
彼女はその真相を知ることになります。
それは一言で言うならば、少女に対する青年のひたむきな純粋な愛なのですが、
もうそれが二度と戻ってくることはありません。
ここで自分だったら、青年の、自分に対する愛に深く感じ、
それを噛みしめながら物語を閉じるというところなのですが、
渡辺温はそのような結末を取りませんでした。
青年とのかけがえのない心のやり取りを思い出し、
もうそれは二度と戻ってくることはないという絶望の気持ちで物語を閉じます。
青年の、自分を守ってくれていた深い愛に今更ながらに気づき、
それがもう帰ってくることはないと自覚した時の絶望ほど悲しいことがあるでしょうか。
しかし、このような結末をとることで、
真に心を触れ合った人がいかに大切なものであるかということを知らしめ、
読者の心に深く刻んでいるのではないのでしょうか。
ハッピーエンドや話が収まって完結しているというのは、
必ずしもその作品のテーマを読者に最も知らしめるものとは限りません。
一見中途半端なような結末であっても、
これはどういうことなんだろうと読んだ者に考えさせる素地を与える、
よかったよかった、めでたしめでたしというエンターテイメントでは終わらない、
それが文学の醍醐味でもあるのです。
O.ヘンリー「最後の一葉」と 同じような骨格の話でありながら、
最後の展開を変えることで、これほど話のニュアンスが変わってくるというのは面白いものです。
先の人物列伝の記事を読まれた方はピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、
ちょっとハイカラな青年に8つ年の離れた病弱な少女。
これは渡辺温と及川道子をモデルにしたとお感じになるでしょう。
作中、青年の両親と少女の両親から結婚は許さないと言われたという描写がありますが、
実際も同じようなことがあったのだと思います。
最愛の人を抱き寄せ切れない悲しみ、絶望。
そういうものをデフォルメして、彼はこの作品を書いたのではないかと感じます。
それは一言で言うならば、少女に対する青年のひたむきな純粋な愛なのですが、
もうそれが二度と戻ってくることはありません。
ここで自分だったら、青年の、自分に対する愛に深く感じ、
それを噛みしめながら物語を閉じるというところなのですが、
渡辺温はそのような結末を取りませんでした。
青年とのかけがえのない心のやり取りを思い出し、
もうそれは二度と戻ってくることはないという絶望の気持ちで物語を閉じます。
青年の、自分を守ってくれていた深い愛に今更ながらに気づき、
それがもう帰ってくることはないと自覚した時の絶望ほど悲しいことがあるでしょうか。
しかし、このような結末をとることで、
真に心を触れ合った人がいかに大切なものであるかということを知らしめ、
読者の心に深く刻んでいるのではないのでしょうか。
ハッピーエンドや話が収まって完結しているというのは、
必ずしもその作品のテーマを読者に最も知らしめるものとは限りません。
一見中途半端なような結末であっても、
これはどういうことなんだろうと読んだ者に考えさせる素地を与える、
よかったよかった、めでたしめでたしというエンターテイメントでは終わらない、
それが文学の醍醐味でもあるのです。
O.ヘンリー「最後の一葉」と 同じような骨格の話でありながら、
最後の展開を変えることで、これほど話のニュアンスが変わってくるというのは面白いものです。
先の人物列伝の記事を読まれた方はピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、
ちょっとハイカラな青年に8つ年の離れた病弱な少女。
これは渡辺温と及川道子をモデルにしたとお感じになるでしょう。
作中、青年の両親と少女の両親から結婚は許さないと言われたという描写がありますが、
実際も同じようなことがあったのだと思います。
最愛の人を抱き寄せ切れない悲しみ、絶望。
そういうものをデフォルメして、彼はこの作品を書いたのではないかと感じます。
及川道子は元来病弱なうえ、女優業で家族を養っていたことから、
それが結婚の障害になっていたともいわれています。
それが結婚の障害になっていたともいわれています。
渡辺温「赤い煙突」