らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「恋」正岡子規





少し前の記事で、自分は、恋というものは、
人にとてつもないエネルギーを与えてくれるものだというようなことを申し上げました。
しかしながら、恋の、その一途な思いのエネルギーの大なるゆえに、
場合によっては周りにとんでもない事を引き起こしてしまう場合があります。

八百屋お七は初めて恋い焦がれた人に再び会うため、
火つけをして、結果火刑に処せられたといわれる江戸時代の話ですが、
そのストーリーはその最たるものであるといえるでしょう。
(参考)http://www.libresen.com/rosehp/day/dayikite/dayikite721/st_ositi.html
        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83


正岡子規はこの八百屋お七を全面的に擁護し、
お七を非難する者をけちょんけちょんに貶して一蹴しています。
その文面をみますと非常に熱のこもった口調で、
一途に恋した、か弱い若き女性への同情というものもさることながら、
恋に自らのエネルギーの全てを注ぎ込む彼女への憧憬のような感情、
そして自分もこうでなくてはならぬという意志のようなものを感じさせるところがあります。

また、子規の、恋そのものに対する純朴な憧れというものが行間から感じ取れるような気がします。
実際彼がどのような恋をしたかということについてはほとんど記録はないんです。
若くして子規は亡くなってしまったので、
ひょっとしたら、そういう機会があまりなかったのかもしれません。

子規はこの作品を記した頃には、すでに寝たきりとなっており、
その2年後に35歳で亡くなりました。
彼は、お七の、恋に一途に邁進する生(せい)のエネルギーをとてもいとおしく思っており、
また、それを羨ましく感じていたのかもしれません。

そのような、恋のエネルギーに対する子規の率直で熱い思いが興奮気味に、
まるで熱弁を奮う子規のつばが飛んできそうな、
とても彼らしい文章だと自分は感じました。






恋知らぬ
猫のふりなり
玉遊び


子規










「恋」正岡子規