らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「留魂録」吉田松陰






先日、幕末の長州を描いた大河ドラマ「花燃ゆ」で、
吉田松陰安政の大獄で刑死する回が放送されました。
その中で出てきた、処刑される前日に書かれた、
吉田松陰の遺書ともいうべき留魂録

今でいうB5ほどの大きさで、五千字といいますから、
原稿用紙十枚くらいの小冊子になります。

劇中では、取り上げられませんでしたが、
一般的に、留魂録で一番有名なのが、冒頭に記された短歌


身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂



この歌は戦前、軍部により、もてはやされたところもあり、
あまり良い印象をもっていない方もいらっしゃるようですが、
もともとは素朴に国の安寧を願う一途な心を表した歌であるように思います。
松陰は虚弱な体質ながら、生前、北は津軽から、南は熊本まで旅をし、
様々な人々と交流を結び、互いに語り合い、自らの考えを確立してゆきました。
釈迦や孔子が諸国を渡り歩いて、自らの信仰や思想を確立したのと同じく、
松陰の学問も頭でっかちなものでなく、
自分の足でひとつひとつ得て、造り上げていったものだったのです。

とするなら、松陰の守ろうとした国とは、
国体というような抽象的観念的なものなどではなく、
日本各地で松陰が出会ったひとりひとりの人々であったのではないかと感じます。
自分の亡き後も、その思いが地に留まって、
この国の人々を守りたいという祈りのようなものが看て取れるような気がします。


さて、留魂録は全部で16章から成っており、
通常の遺書とは、かなり趣を異にしています。
幕府方の取り調べや、獄に入っている時に知り合った囚人の紹介など、
内容は多岐に渡っています。
しかし、全章一貫して感じるのは、非常に静やかであるということ。

少し前に、マリー・アントワネットが処刑される日の明け方に書いた遺書について、

紹介したことがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/13830179.html


その内容は、フランス王妃たる堂々とした、かつ優美な、乱れのないものに感じましたが、
それでも、吉田松陰留魂録を読んだ後ですと、
細かい小さなさざ波が節々に感じられてしまう。
しかし、松陰にはそれがない。
その最たるものが、彼の死生観が表れている第八章で、
これは大河ドラマでも描写されていましたが、
とても静かで乱れがなく、

まるで鏡のような水面のごとき静けさがあり、
誤解をおそれずに言えば、
心地よい風にあたるような爽快さを感じる瞬間すらあります。


それを一言でいえば、どのように評したらよいのか、
諦念とも悟りとも少し違う、自然体と言うと独特の緊張感が表現できない、
ぴんと張りつめた柔らかな静かさとでもいうのでしょうか。
そういう表現しか、今の自分にはできません。



http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html
第八章全文 現代語訳付き


また、松陰は武士であるのに、農事に例えて遺書を綴ることに

違和感を感じる方もおられるかもしれません。
しかし、彼の家は武士とはいえ、半農の貧しい家であり、
幼き頃から、学問の傍ら、家族と共に農作業にたずさわって生きてきました。
ですから、作物の実りを自己の人生に例えるということは、
彼にとって最も身近に実感できるものであり、
最も的確にそれを例えることができるものであったのです。


なお、ドラマの中で、長州の同志に留魂録が手に渡らないことを危惧し、
松陰が牢名主沼崎吉五郎に、同じ内容を記したものを託すシーンがありましたが、
その託された留魂録がどうなったのかを記して記事を終わりにしたいと思います。


萩に持ち帰られた留魂録は、その後、塾生達により幾度となく、写し取られ、
幕末の激動期を生きた塾生たちの心の支えとなりました。
しかし、混乱した時勢のことでもあり、
いつしか、松陰直筆の留魂録は失われてしまいました。


しかし、長州の人々の懸命な戦いにより維新は成り、
時は経ち、世の中が落ち着きつつあった明治9年のこと。


あるひとりの年老いた男が、当時神奈川県令をしていた野村靖のもとに現れ、
松陰直筆の留魂録を置いて行きました。
処刑直前に松陰より託された牢名主沼崎吉五郎は、
その後、ほどなく三宅島に遠島になりましたが、
松陰託された留魂録を無くすことのないように、
自らの衣服に縫い込み、肌身離さず、ずっと大切に保管していたのです。
そして、明治に世が変わり、三宅島から戻った彼は、
吉田松陰ゆかりの人物を尋ね捜し、野村靖の元を訪れたのでした。

彼は、野村が受け取ったのをしかと見届けると、
安堵の表情を浮かべ、ほどなく立ち去ったといいます。
その後、人をやって捜し求めましたが、彼を捜し出すことはできませんでした。

現在、我々が目にすることができる直筆の留魂録は、
沼崎吉五郎が20年に渡って守り抜き、松陰との約束を果たしたそれであったのです。

松陰が沼崎吉五郎に留魂録を託すシーンは、
大河ドラマの回でも素晴らしい名場面であったと思います。








萩の松陰神社にて保管されている松陰直筆の留魂録