らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ 花燃ゆ 1



 

第9回「高杉晋作、参上!」



先日、社内で幕末維新が好きな同僚とバッタリ出会い、ちょっと会話をしました。
大河ドラマの「花燃ゆ」見てる?あれすごくいいよ。」
今年の大河ドラマは、
幕末維新の長州藩を舞台とした吉田松陰及びの塾生たちの生きざまを、
松陰の妹文(ふみ)の目線から綴るというストーリーのものです。

長州藩の若者たちの生きざまに傾倒している自分としては、
見逃さるべからずドラマのはずだったのですが、
年始の忙しさにかまけて、今まで見るのを怠ってしまっていました(-_-;)

それで、早速、この前の土曜日第9回の再放送分から視聴。
題名はなんとタイムリー!「高杉晋作、参上!」。

前に、高杉晋作の人物列伝の記事を書くほど、自分は彼の生きざまが好きなのですが、
ちょうど高杉晋作が19歳で松下村塾に入塾するときの話でした。
最初、ちょっと跳ねっ返り過ぎなところが気になりましたが 、
自分でも制御できない、湧き上がるエネルギーをもてあます若者の心の有り様のようなものが、
よく描かれていたように思います。

そして、生涯の師吉田松陰との出会い。
松陰を演じる方は、非常に知的で穏やか感じで、ちょっとイケメン過ぎますけれども、
なかなか良い松陰に感じました。

混沌として誰もが先の見えない時代。
ある者は既存の権威を頼みにし、
ある者は自分の進む道を悩み、右往左往するばかり。

そんな時、長州の若者たちの前に現れた吉田松陰なる人物。
ドラマ中、彼は、志、それは夢という言葉にも置き換えられるのかもしれませんが、
志を心に持つことの大切さ、それを基に行動することの大切さを説きました。

そして、それは松陰が師として、上から授けるというものではなく、
松陰自身も志半ば夢半ばの人間として、若い塾生達と共に学ぶというスタイルのものでした。
ですから松陰の言葉は、教わる若者たちと同じ目線にあり、
現代の我々が聞いても、実にわかりやすいのです。


今回最も印象に残ったシーン。

晋作「学問がしたい!」

松陰「何のために?」

晋作「分からん!! じゃが、(ここの学問は)面白そうな匂いがする」

思わずニヤリとする松陰。


おそらく、松陰も若き高杉晋作と同じ気持ちであったに違いありません。
ああ、彼も同じ、私と同じ志を探し求めようとする仲間なのだ。と心が通じ合った一瞬であったと感じます。

今の世の中、幕末の激動期とは比べるべくもありませんが、
人々が生きがいを見失い、夢を見失い、さ迷っているのは同じようにも思います。
ですから、自分の志は何か、夢は何かということについて
ちょっと考えてみたいと思っていらっしゃる方は、ぜひこのドラマを一緒に見ていただきたく思います。

松下村塾は身分、年齢に拘りなく学ぶことのできる、
身分制度の厳しいあの時代としては画期的な塾でした。

皆さんの中には、もう歳だからとか、今さら志や夢なんて。。
と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、松陰っぽく言えば、志や夢を抱くのに、年齢、性別、職業などまったく関係のないはずです。

ちなみに、少しネタばらしをしますと、
吉田松陰はこの2年後に死に、久坂玄瑞は6年後に、高杉晋作は9年後に亡くなります。
松下村塾で共に学んだのは、僅か2年あまりに過ぎません。
その僅かな時間の中で、彼らは生き方を変え、
自らの志を見出だし、己の人生を生き抜きました。


この後、一体彼らはどうなるのか。
事実は小説より奇なり。と申しますが、
我々の常識では計り知れない、想像もできない、予想もできない出来事が、
これから、息つくひまもなく、次から次へと起こることになります。

ということで、今後、「花燃ゆ」の記事を定期的にアップしたいと思っています。

主人公文の夫となる久坂玄瑞という人物を、皆さんに知っていただく良い機会でもありますし、
とにもかくにも、自分の敬愛する高杉晋作についても、
おそらく、そのほぼ全てについて触れることになるわけですから、
自分もワクワクしています。
高杉晋作が、ただ単に口が顔の下の方についている男ではないということを知らしめるためにも(笑)
(参考記事) http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/11351125.html







夢無き者に理想無し

理想無き者に計画無し

計画無き者に実行無し

実行無き者に成功無し

故に、夢無き者に成功無し