らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【美術】円空・木喰展

 
 

昨日、横浜そごうで開催されている「円空・木喰展」に行ってきました。
http://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/14/enku_mokujiki/








 
正面いきなり入口に、十一面観音菩薩像二体。

それぞれ2メートル近くはあるでしょうか。
とても優しいお顔をしています。
しかし、正面で面と向かうと、前が覆い包まれてしまうような圧倒的な存在感。
それはもはや、ただの木の板ではありません。
魂の吹き込まれた命そのもの。

かたや、10センチほどで、手のひらに乗ってしまうようなものもあります。
 
http://www.geocities.jp/kawai5510/CRW_85891.jpg


しかし、その中にも、やはり同じように不思議な命の存在が確かに、そこにはある。
命の入っていないものはひとつもないのです。
 





木端(こっぱ)仏。
不揃いの、捨ててしまうような板切れに仏を刻んだもの。流木のようなものもある。
それぞれ形、大きさは異なり、ひとつとして揃った同じものはありません。
円空は、その中に命のきらめきを感じ、仏の姿を与えたのです。

それらも堂々とどっしり鎮座している仏像同様、
静かに祈りを捧げて瞑想しています。


そのほか、狛犬のようなものもありました。




邪を払う化身として一分の隙もない緊迫感が、
ノミの彫りのひとつひとつに感じます。

作品というのは、実に素直なものです。
作者の心があからさまに顕れてしまう。
ひと彫りひと彫りに込められた祈り、思いというものが、
見上げるような大きなものから手のひらにのるような小さなものまで、
円空においては、全く造形に違いはなく、手抜かりがない。

どのような大きさの仏の像であっても、
その中に入っている仏の魂の大きさは同じなのです。

また、円空の仏は優しいだけではありません。
時には知的で前衛的であり、見る者の脳を刺激します。
時には大胆に木の元の形を利用し、
時には大きくデフォルメし、まるで金属か何かで造られたもののようでもあります。






 
 
まさに円空の創作は水の行くがごとし。
自然に溢れ出るものを押し止めるところなく、
その発想に限りなく、どこまでも自由で自然なのです。

それに比べると、木喰はやや定型的人為的です。
丸みを帯びた柔らかな質感と仏像の表情。
これだけのものを彫ることができる仏師はなかなか居るまいと思います。
しかし、円空のそれは、仏像の数だけ仏の魂があるのを強く感じるのに対し、
木喰の仏像にはそう感ずるところが若干ですが薄い。

作品総体のパワーということからも同じことを感じます。
円空のブースからは、静謐の中にも、湧き起こってくるような、
みなぎるようなエネルギーのようなものを感じましたが、
木喰のブースは良い意味でも悪い意味でも、品がいいのです。
品がよくて、ちょこんと鎮座している。

ひとつひとつの姿形が全て異なるというのはこれほどまでに素晴らしいことであり、
みなぎるパワーを生み出すものなのです。

このような仏像が伝承では12万体。そのうち現存するもの5400体。
まさに奇跡。世界に誇ることができるものだと感じます。

今回、見て思ったのは、
円空仏は単体で見るよりも、一度に多くのものを見た方が、
よりその真価を感じることができるような気がしました。
そして、その像の、それぞれの大きさの違いなども、
図録で見るの実物とでは存在感に雲泥の差があります。
円空と木喰が並べられて展示されていたことも、
二つの個性の比較対照という意味で、自分にとって大変有意義でした。

今回横浜そごうで行われているこの展示は、
首都圏では、久々の大規模なもので、初公開のものもいくつかあるとのこと。

円空を感じたい方はぜひとも足を運んでみてください。
3月22日まで。ぜひ。その後、山梨、名古屋、岡山と巡回するそうです。




以前、円空について記した記事です。
円空の伝記的な部分にも触れていますので、よろしかったら。