らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【父の死】一周忌法要


 

先週末、名古屋の実家に、父の一周忌の法要で行って参りました。
名古屋の街もすっかりクリスマスムードで、
こちらは名古屋駅の駅ビルにあるデパートのクリスマスツリーです。




そして、こちらは名古屋名物エビフライで形造ったクリスマスツリー…




というわけではありませんが、
エビフライ専門店の特大えびふりゃー定食です。

名古屋ってなぜか、えびせんとか海老フライとか天むすとか
海老にかかわる食べ物が多いんです。
その理由は…ちょっと自分はわからないんですけどね(^^;)


さて、今回の父の法要はお墓のある岐阜のお寺ではなく、名古屋の自宅にて催しました。
80歳になろうとする住職である父の実兄が自ら車を運転し、
父の姉88歳、その旦那さん90歳、父の妹73歳を乗せて、
カーナビがあるとはいえ、一度も迷うことなくスムーズに到着。

これはなにげに凄いことだと思うんですよ。
伯父はいまだ現役の住職で、お務めを欠かしたことはありませんから、
やはり日頃の鍛錬といいますか、
現役でいることの大切さみたいなものを感じました。

法要はきわめて近しい身内ばかりですから、
終始穏やかなアットホームな雰囲気で大変良かったと思います。


父は、外出先にて脳出血で倒れ、
そのまま一度もコミュニケーションを取ることなく、
その1年半後に亡くなりました。

生前父は小さいながらも事業を営んでおり、
その後処理など意外に大変で、
その他にも、いろいろもろもろあり、
自分も名古屋との間を何度となく行き来しました。

荒ぶる冬の海のごとく、家族も心中穏やかならぬ日々が続きましたが、
今はおかげさまで全てが平らかに収まりつつあります。



万葉集の歌に、


世の中を
何に譬へむ
朝開き
漕ぎ去にし船の
跡なきごとし



世の中を
何に譬えよう
朝早く
海に漕ぎ出て行った船の
もはや航跡さえ残ってはいない
そんなものだろうか



というものがあります。

その意味については、
すぐに消え去ってしまう船の航跡に、
人の世のはかなさを感じ、
人生の虚無感、無常感を詠んだものと
する解釈が多いようです。

しかし今回、自分はちょっと違うことを感じました。

人間の生きた証というようなものがはかなくも消え去ってしまうのは、
一体何のために生きていたのだろうと、
それに虚無感や無常感を感じるというのは、確かにわかります。

しかし、この世で、そういうことにこだわり、抗おうとするのは、
おそらく人間だけです。
人間以外の他の存在は全て粛々と自然の摂理に従って
消え逝くものです。
いや、消え逝くというよりは、
万物に調和してゆくという方が適切かもしれません。

尖っていた部分が凹んで平らかになり、
凹んでいた部分が盛り上がって平らかになり、
波立っていた海が収まり鏡のように平らかになってゆく。

自然の調和に叶ったものは、
総じてそのような過程を経ていくものです。

そうすると、亡くなった父のもろもろが次第に収まってゆく様は、
自然の調和の過程に沿って、
命あるものとして極めて自然で安らかな姿なのではないのかと感じたのです。

古来より人生は無常と言われ続けていますけれども、
それはきわめて自然に叶っていることであり、
それほど嘆き悲しむことではないのかもしれない。
自分は今回の法要で、ふとそんなことを思ったりしました。