らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【父の死】父の葬儀

 
 
 

父の死の知らせを受け、急いで名古屋に帰りましたので、
昼過ぎには父が安置されている病院に到着しました。
病院には母と弟が待っていました。

そこで自分は父の亡骸と初めて対面しました。

入院中、生きているのか死んでいるのかと
いうような感じだった父ですが、
その時見た父は明らかにそれまでの父とは異なっていました。

「さっきまで父であったもの」

これが最初に見たときの自分の印象でした。
いかなる病人であれ、生きているということは
限りない生のエネルギーを発しているものなのだ。
この時自分は思い知りました。

しばらくして病院に手配していた葬儀業者の人がやって来ました。
葬儀業者の人はてきぱきと作業を始め、
父は病院のベッドから厚手の布にくるまれ搬送されました。
自分もその手伝いで父をくるんだ布の一端を持って運んだのですが、
その時ずしりと父の重み、父の生きていた重みのようなものを感じました。

この時、知ったのですが、年末年始というのは亡くなる人が意外に多く、
火葬場はなかなか予約が取れにくいそうです。
ということで、父の葬儀は3日後の5日に決まりました。

日取りが決まって父の実家の兄弟に電話しました。
正月の年賀の挨拶だと思っていたらしい伯父は、
父が亡くなったと聞いて、一瞬絶句しました。
常に人の死というものに接している僧侶の伯父でさえ、
実の弟の死はやはり格別であったのでしょう。
しかしすぐ気を取り直して、
葬式で必要となるものなど色々アドバイスをしてくれました。

そしてもうひとつ、瑣末な事ではありますが、
正月で花の市場が閉まっており、
棺桶に入れる花をどうしようかという問題がありました。

高くても葬儀業者に手配してもらおうかとも考えましたが、
孫の長女が学校の行事で紙で花を作った心得があり、
家族みんなで花を作って棺桶に入れようという話になりました。
それは花びらが幾重にも重なったバラの花のような、
なかなか可愛らしいものでした。
葬式の時、孫たちが作った青や白のかわいらしい花に包まれて眠る父は
本当に幸せだと思いました。

そして最後に、母が父の胸元に花を一輪置いて棺を閉じました。

葬式は僧侶である伯父の読経の中、
母と自分たち子供とその家族、父の兄弟の近親者だけで、
きわめて静かに行われました。
しかし故人を偲ぶという意味では本当にいい葬式だったと
後で母と話をしました。

葬式が終わり、火葬場についた頃には冬の短い日は沈んで、
辺りはすっかり闇に包まれていました。

火葬場での焼きが終わって、お骨になってしまった父を、
孫の子供達はまんじりともしない表情で見ていました。
これは父が可愛がっていた孫達に、
自分の最後に、人間の死というものを教えているのだと思いました。
自分も可愛がってくれた母方の祖父からそれを教わりましたので。

今は、お骨上げは、火葬場の職員の方が、
お骨の部位の説明を丁寧にしてくれて、
この部分は頭蓋骨、この部分は上腕部分、この部分は大腿骨…と指し示し、
その各部位をひとかけらずつ拾ってゆくのですが、
その説明を聞いていた母がひそひそ声で、
「なんだか懐石料理か何かのコースの説明みたいだね。」
と自分に耳打ちしました。
自分はその無邪気な反応に母の心の落ち着きを感じ、少し安心しました。

そして最後に、職員の方が、
皆さんにぜひ見ていただきたいものがあります。
と指し示したのは、父の喉仏のお骨でした。




画像は完全な形の「喉仏の骨」のレプリカ

厳密に言うと実際の喉仏の骨は軟骨で、焼きの時に焼けてしまい、
その部分は本当は頸椎の一つなんだそうなんですが、
その部分を俗称で喉仏の骨と称しているそうです。
喉仏の骨は、その名前の通り、完全な形においては、
お釈迦様が座禅を組んで合掌しているような姿に似ているといわれ、
通常は焼きの際、どこかしらの部分が欠けてしまい、
完全な形で現れるのは非常に稀なことなんだそうです。
父の喉仏の骨は本当にきれいな、整ったものでした。

火葬場に来た全員、合掌しているような父の喉仏の骨をじつと見つめていました。

すると僧侶の伯父が、
「病気でずっと口も聞けなんだで、最後にみんなに手を合わせてお礼していったんだわ。」
と言いました。

そうかもしれない。と自分も思いました。

 

葬儀の全てが終わり、親戚衆も帰途に着き、
やっと床についた時は午前1時をまわっていたと思います。

自分はその夜、母の長い物語があるならば、それに付き合うつもりでしたが、
母は床についてしばらくすると、
スースーと軽い寝息を立てて眠り始めました。
その寝息はとても落ち着いたもののように感じましたので、
自分もそれを聞きながらなんとなく安心して眠りにつきました。

長い長い家族の1日はこうして終わりました。

そして長い父の病の日々もまた。





ここから先の話は年初に書いた記事に戻ることになります。

今その時の記事を読み返しますと、
たくさんの方々から心のこもったお言葉をいただき、
本当に感謝にたえません。

父の死の経緯を記すことで、
皆様にも何か心に留まるようなものがあればと思い、
今回これらの記事を書かせていただきました。