らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画】「睡蓮の池、夕暮れ」モネ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今までいろいろな20世紀的絵画を見てきましたが、
その後に、モネの「睡蓮の池、夕暮れ」を見るとホッとするものがあります。

20世紀的絵画はやはり「人為的」なのです。
対象の形を極限にまでデフォルメし、変容するそれは、
ある意味、自然の形を自己の思うように変えてきた
20世紀的人類の形と重なるところがあります。

しかし、モネの時代には、まだ、そこまでには至っていませんでした。
芸術家は人間や自然の、その内に秘めたる素晴らしさ、美しさを見出そうと
その対象と必死に格闘していました。

ところで、モネの「睡蓮の池、夕暮れ」、
これはもはや実際の睡蓮の形をとどめておらず、抽象画のはしりだという人がいます。

しかし、自分はちょっと異なる印象を持っています。

確かに、この睡蓮、とにかく大きな絵です。
幅6mの、壁一面を覆うほどの、
至近で眺めると何の絵だか全くわからないものがあります。

しかし一歩引いて見てみると、
夕暮れの光につつまれた睡蓮の浮かぶ池の姿が浮かび上がります。

なぜ、この絵はこの大きさでなければならなかったのでしょうか。

 

光とは、この世の色彩の全てを生み出す根源のような存在です。

モネは、小さな額の中に閉じ込めるには収まり切れない、
夕映えの光が広がってゆく美しさ、
その無限の色彩を生み出す光を追いかけているうちに、
自ずとこのような大きさになってしまったのではないか…

また、モネがこよなく愛した、この美しいきらめきの、作品の大きさは、
それに魅入られた画家自身の心象風景の大きさそのものであるようにも感じます。

なお、この「睡蓮」のモデルとなった池は今も現存します。
この絵を見て、どんな素晴らしいところかと思いきや、
一見何の変哲もない、水棲植物が繁茂した緑色の濁った池に見えます。

しかし、毎日のように、この池を見つめていた彼は、
夕映えの光が水面に乱反射して浮かび上がり、
辺り一面に極彩色に輝きわたる、その瞬間の一刹那の姿をはっきりと見たのです。


そのようなモネの心象とシンクロするには、
ブログに貼り付けた小さな画像では、どうしてもくみ取り切れないものがあります。

ですから、この作品に関しては、やはり本物を目の前にして、
辺り一面に広がる極彩色の世界に、直(じか)に包まれてみることをおすすめします。

この作品はまだ日本で見ることができます。
機会のある方はぜひともご覧になってみてください。
http://zurich2014-15.jp/



長い間、絵画の記事を読んでいただいて
ありがとうございました。
今回で一応チューリッヒ美術館展で見た作品の記事は終わりにしたいと思います。