らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「智恵子の半生」高村光太郎

 
 
 

 

ご存知ない方もいらっしゃるかと思いますが、
高村光太郎の妻智恵子は洋画家を志した芸術家志望の人でした。

この有名な平塚雷鳥らによる雑誌「青鞜」創刊号の表紙は、
結婚前の26歳の時に、智恵子が制作したものです。
玄人はだしのセンスの良さを感じさせるものがあります。

しかし自らが志した肝心の油絵では、なかなかこれといった作品を描くことができず、
結局文展落選後は二度と作品を出品することもなく、
作品もそのほとんどを破棄し、事実上挫折。
作品も現在数点しか残っていないようです。

光太郎曰わく、デッサンや素描はよいのだが、
油絵の具を乗せる段となると、
今ひとつ克服することができないところがあったとのことですが、
こちらが智恵子作の僅かに残っている作品のひとつです。




いかがでしょうか。
確かに自己の表現の確立というところまでには至っていないような気もします。
当人はセザンヌに傾倒していたとのことですが、
この絵に関していえば、重めのシャガール風とでもいいますか。

優れた作品というのは、絵画でも文学でも詩でも何でも、
それに触れた瞬間、
心に差し込んでくる一筋の光のごとき閃(ひらめ)きを感じるのですが、
この作品に関していえば、試行錯誤の迷いがそのまま作品に出ているような気もします。

夫光太郎は家庭生活と芸術生活の板挟みにあって、
創作に意識を集中できなかったというようなことを述べ、
気の毒に思い、かつ優しく思い遣ってもいますが、

智恵子は、芸術家肌の人の多分に漏れず、
きわめて繊細な一面を持つ人だったようです。

東京という土地は本当に水に合わなかったようで、
もともとの肋膜炎の持病などもあり、
その療養も兼ねて、結婚してからも1年のうち数ヶ月は福島の実家に滞在していました。

「あどけない話」という有名な詩がありますが、
あれも裏を返せば、東京には空がない、閉じ込められたような息の詰まるところだという
智恵子の苦しみが垣間見えるものとも受け取れます。

が、それ以上に智恵子の繊細な心にダメージを与えていたのは、
他ならぬ最愛の夫高村光太郎の存在ではなかったかと感じます。
光太郎は智恵子との出会いによって、
その芸術的才能を大きく開花させたといってよいでしょう。
普通の夫婦なら、あら良かったわね、私も頑張るわ。というところですが、
芸術家というのは極めて自負心の強い、場合によっては我が儘ですらある、
個性の塊のような人々であり、
それがたとえ愛する連れ合いであったとしても、相手の才能に嫉妬するといいますか、
それを目の当たりにすることは、大いに苦しみ悩むという部分があったと感じます。
与謝野鉄幹と晶子夫妻の場合もそうです。

ですから、智恵子も間近で次々と創り出されてゆく
高村光太郎のインスピレーションあふれる作品群を見て、
妻として嬉しい反面、芸術家として嫉妬、自己の不甲斐なさを
日々感じていたのではないかと思うのです。

しかし、そうこうした日々を送っているうちに、
造り酒屋をしていた実父の死、その後の実家の破産及び一家の離散は、
智恵子に心休める場所を失わせ、
その傷ついた心に回復不可能な決定的なダメージを
与えてしまったのではないかと推測されます。

その後精神をひどく病み、薬物による自殺未遂。
なんで愛する夫もいるのに、自殺なんか…とおっしゃるかもしれませんが、
智恵子と同じ統合失調症の例としては、
近時、宇多田ヒカルさんの母である藤圭子さんがやはり自殺しており、
その理由を真につきつめるのは、
先天的、後天的理由を含めて本当に難しいと感じます。

その後、各地を転地療養しますが、病状は重くなる一方で、
発病数年にして東京の南品川にあったゼームス坂病院に入院。
その3年後に肺結核で亡くなります。
享年53歳。

高村光太郎が、私と結婚しなければ、或いは…
と語るあたりは、どうにもならない悲哀を感じざるを得ませんが、
この「智恵子の半生」において、
妻智恵子の人生を反芻して何度もかみしめるように振り返って語るくだりは、
ああ、この人は本当に心から妻のことをいたわり、
慈しんでいたんだなと偽りのない愛情というものを感じます。

では、智恵子はその晩年、どのような気持ちで生きていたのでしょうか。
彼女は幸せな晩年であったといえるのでしょうか。
それについては後述の記事に譲りたいと思います。


なお、この「智恵子の半生」は青空文庫に収録されています。
淡々とした語り口の中にも、智恵子抄とはまた違った、
妻に対する深い愛情を感じ取ることができ、
短い作品でもありますので、ぜひ読んでみていただけたらと思います。