【美術】ムンク展 2
ムンクといえば「叫び」。
やはり、今回の美術展は代表作である「叫び」についてから書きたいと思います。
ムンクの「叫び」といえば、
小学生の美術の教科書にも載っている美術史上でもきわめて有名な絵ですが、
必ずしも明るく楽しい絵ではありません。
ですから実際本物を観て、自分が一体どういう感覚を受けるのか、
そのファーストインパクトに非常に興味がありました。
「叫び」というのは、得体の知れない不安に襲われて、
ぐるぐると世界が回ってしまうような心象風景を描いた作品で、
自分もそれに引きずり込まれていくような感覚になってしまうのではないかと思っていましたが、
しかし、いざ本物を見てみると、
意外にどっしりと落ち着いた、深みを感じさせる作品でした。
やはり、今回の美術展は代表作である「叫び」についてから書きたいと思います。
ムンクの「叫び」といえば、
小学生の美術の教科書にも載っている美術史上でもきわめて有名な絵ですが、
必ずしも明るく楽しい絵ではありません。
ですから実際本物を観て、自分が一体どういう感覚を受けるのか、
そのファーストインパクトに非常に興味がありました。
「叫び」というのは、得体の知れない不安に襲われて、
ぐるぐると世界が回ってしまうような心象風景を描いた作品で、
自分もそれに引きずり込まれていくような感覚になってしまうのではないかと思っていましたが、
しかし、いざ本物を見てみると、
意外にどっしりと落ち着いた、深みを感じさせる作品でした。
ゴッホなどは作品によっては長時間見続けられない、
心がぐるぐると回ってしまうようなことはなく、
たとえ書斎に飾っておいたとしても、落ち着いてそこで過ごすことができるといいますか、
叫びに描かれた人物は、なぜ不安にとらわれているのだろうと、
じっくり絵を見ながら思索にふけることができる。
そんな感じです。
ひょっとしたら、ムンクは衝動的な感情でこの作品を描き上げたのではなく、
じっくり長い時間、思索を重ねて完成させていったのかもしれないとも感じました。
たとえ書斎に飾っておいたとしても、落ち着いてそこで過ごすことができるといいますか、
叫びに描かれた人物は、なぜ不安にとらわれているのだろうと、
じっくり絵を見ながら思索にふけることができる。
そんな感じです。
ひょっとしたら、ムンクは衝動的な感情でこの作品を描き上げたのではなく、
じっくり長い時間、思索を重ねて完成させていったのかもしれないとも感じました。
この作品、背景の構図は「叫び」とほぼ同じで、
題名や描かれた人物の表情などからは、こちらの「絶望」な方が、ぴったり来るような気がしますが、
「叫び」の方が圧倒的に知られているのは、
ひとえに描かれているキャラによるものなのでしょう。
なお、ムンクの「叫び」については、
実は、この人物は叫んでいないというのが今日の流行りのようです。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1480903909449/
例えて言うならば、作者は母であり、
そこから生み出された作品はその子であると言えます。
確かに母は子に一番近しい存在ではありますが、
イコール、子の本質を最も理解した人間と言えるかといえば話は別です。
子は長ずれば、友人や結婚相手や仕事のパートナーなど、
確かに母は子に一番近しい存在ではありますが、
イコール、子の本質を最も理解した人間と言えるかといえば話は別です。
子は長ずれば、友人や結婚相手や仕事のパートナーなど、
他の人々と接することで母の元を離れて行きます。
すなわち、母以上に子の価値を知る人間と出会うことによって、
子は才能や魅力を引き出され開花してゆく。
芸術作品にも同じことが言えます。
より優れた子(作品)ほど母(作者)から離れて、
世の人々に多彩な価値を見出だされて輝きを増していく。
ですから、鑑賞者は作者の言葉に必ずしもがんじがらめにこだわる必要はない。
一番大事なのは、作者がどう言ったということではなく、
その人(作品)を見て何を感じたかとこと、
その感じたことを自分なりに追いかけて、追究していこうという意志を持つことであると思います。
もし作者の解釈が唯一正しく最高のものならば、
芸術作品というのは、作者がその解説書を書けばそれでおしまいです。
それ以上の広がりを見せるものではありません。
しかし、芸術とはそんなものではない。と自分は思います。
もっと万人に対して感性の広がりをもつ可能性に満ちたものであるはずです。
もし芸術作品に接して何かを感じたのであれば、
その気持ちを大事に、それを時間をかけて追いかけてゆく。
それが芸術作品鑑賞の醍醐味であると思っています。
すなわち、母以上に子の価値を知る人間と出会うことによって、
子は才能や魅力を引き出され開花してゆく。
芸術作品にも同じことが言えます。
より優れた子(作品)ほど母(作者)から離れて、
世の人々に多彩な価値を見出だされて輝きを増していく。
ですから、鑑賞者は作者の言葉に必ずしもがんじがらめにこだわる必要はない。
一番大事なのは、作者がどう言ったということではなく、
その人(作品)を見て何を感じたかとこと、
その感じたことを自分なりに追いかけて、追究していこうという意志を持つことであると思います。
もし作者の解釈が唯一正しく最高のものならば、
芸術作品というのは、作者がその解説書を書けばそれでおしまいです。
それ以上の広がりを見せるものではありません。
しかし、芸術とはそんなものではない。と自分は思います。
もっと万人に対して感性の広がりをもつ可能性に満ちたものであるはずです。
もし芸術作品に接して何かを感じたのであれば、
その気持ちを大事に、それを時間をかけて追いかけてゆく。
それが芸術作品鑑賞の醍醐味であると思っています。