らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】30 久野久(くのひさ) 前編

 

 

以前【人物列伝】「高杉晋作」の記事で、彼の先駆けとしての人生を讃えました。

そこでは、先駆けというのは、つまるところ、世の中の先頭を突っ走るわけですから
道なき道を試行錯誤しながら進むことになるわけで、
試行錯誤を繰り返し、何かにぶつかる度に傷だらけになる。
先駆けとは苦しくて乗り越えられそうにない試練の連続の人生である。
そのように申しました。

今日はクラシック音楽においてその先駆けの人生を駆け抜けた
或る女性ピアニストのお話をしようと思います。




彼女の名前は久野久(くのひさ)。

彼女は明治19年滋賀県に生まれました。
ピアノとの出会いは、3歳の時、神社の石段から転落し、
片足に重度の障害を負ったことから始まります。

障害者となってしまった彼女は、自活のため、親族の勧めで音楽をたしなみ、
後に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、初めてピアノと出会います。
この時、久15歳。

入学直後は技術が非常に未熟で、大学から退学勧告を受けてしまいますが、
久は、体の不自由な自分が生きてゆくために、
その日から一念発起してピアノの猛練習を始めます。

真冬の夜、火の気のない教室で凍えながらひたすら必死にピアノを弾き続ける毎日。

しかし、そのうち次第に彼女はクラシック音楽の世界に魅入られ、
深くのめり込んでいくようになります。

そして終生敬愛するベートーベンとの出会い。
耳の悪いベートーベンの生き様は、
足の悪い久を力づけ、励ますところもあったのでしょう。
そして、何よりもベートーベンの音楽が
彼女の心を慰め、奮い立たせるところがあったのだと思います。
また常日頃、夜を徹して練習していたためシンパシーを感じていたのでしょうか、
彼女はベートーベンのピアノソナタ「月光」を最も愛し、得意としていました。

起きている間は、ほとんどずっとピアノに向かい、
睡眠もピアノにもたれかかって仮眠を取るだけの毎日。
僅かな時間も惜み、食事も歩きながらおにぎりをほおばり、
髪型などの身だしなみにも無頓着。
音楽に深く没入する久の様子は、音楽学校でも噂となり、
奇人で変人とのレッテルを貼られてしまうほどとなります。

しかし、一方で、彼女のピアノは非常に激しく情熱的であり、
聴く者の心を揺り動かし大変な評判を呼びます。
その後、優秀な成績で音楽学校を卒業し、
母校の助教授となったのは29歳の時。
皇族御臨席のコンサートなどでトリを務めるなど数々の栄誉につつまれます。

しかし、そんな彼女に突然の不幸が訪れます。
不慮の交通事故により重傷を負ってしまうのです。
ひき逃げで現場に何時間も放置された挙げ句、
その後3ヵ月の入院を余儀なくされ、
退院した後も後遺症に悩まされ、
自分はこれからも演奏家として生きてゆくことができるのだろうか
不安に苛まれる日々。

しかし、この時、彼女を救ったのは、
自身が人生を傾けて情熱を注いでいたベートーベンの作品でした。
起死回生の策として「ベートーヴェンの午后」と題するリサイタルを開き、
大成功を収め、自信を取り戻します。
「悲愴」「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」「テンペスト
という、現在では到底考えられないボリュームの、
しかし、それはベートーベンのファンにとっては垂涎の夢のラインナップのリサイタルでした。

彼女は自らの勇気と音楽への情熱で
活路を開いたといえるのではないでしょうか。

それでは久野久とは一体どのような心根をもった女性だったのでしょう。
世間一般では奇人で変人といわれていた彼女ですが、
知人に宛てた手紙が残されており、
それが真実の彼女の姿をよく表しているように思います。

「私は平生から、かういふ風に考へて居ります。
と申すのは一体世界の人種に変りはあつても、
即ち文明国人といはれても、野蛮国人と呼ばれても、
また黄色人種と、黒色人種、白色人種もつまるところは同じく人間には相違ないのです。
だからその人間のやつたことや、やつてることが
人間たる以上はやれぬ筈は絶対にないと断言します。」

「音譜といふものは世界共通のエスペラント(国際語)のやうなものです。
私共はただそれによつてやつて行くのですから、
最初に正確な歩み方を立派な先生から習び、原理をよく頭へ入れてしまへば、
それからあとは個人の頭の力と研究次第で演奏者はもちろん、
作曲者といへども進歩発達を世界的に成功させる事が出来る訳です。
かういふ訳ですから日本人だつてこれからウンと勉強して行けば
追々に世界の演奏者なり、作曲者なりが生れ出ることはあり得べきこと、
否な必ず近き将来にあることと信じます。」


理知的で聡明、そして強い意欲と自信。
自身のみならず日本におけるクラシック音楽の向上と発展について
希望ある確かな未来を描いている
しっかりと自己の確立した女性に感じます。

このような彼女の一体どこが奇人で変人なのでしょうか。

思うに、それは、びっこで身なりには無頓着、
女とは思えない男勝りの激しいピアノを弾く。
という見たくれに尾ひれがつけて、
独り歩きしてしまったのではないかと感じざるを得ません。

例えば、彼女の演奏は非常に激しく、
「髪がほどけて簪(かんざし)が乱れ乱れ飛ぶ」
「弾いている間に帯が解け、着物の裾がはだけ太股が露わになる」
などという扇情的な表現が当時為されています。

しかし髪がほどけて簪(かんざし)が乱れ乱れ飛ぶほどの激しい動きでは、
ろくにピアノの演奏などできぬことは明らかですし、
また、足の悪い彼女が裾がめくれるほど
激しく足でペダルを動かすことができたのだろうか。
たとえ、はだけたとしても、それは足が悪くて、
自分自身でどうしようもできなかったからではないか。
扇情的な激しい演奏ゆえ帯が解け、裾がはだけたなどと
一体何を根拠に言っているのか。
三者の極めて破廉恥で無責任な発言としか言いようがありません。

彼女はクラシック音楽の演奏者の先駆けとして闘っていただけでなく、
このような世間の、障害者として、女性としての様々な偏見とも闘っていたのです。


そんな彼女に大きな転機が訪れます。
クラシック音楽の本場ヨーロッパへの洋行の話。
そして行った先のウィーンで、
大作曲家リストの高弟エミール・フォン・ザウアーの前で
ベートーベン「月光」を弾き、レッスンの申し出を受けるのです。


それでは長くなりましたので、
続きはまた後編にて。




クラシック音楽の話題で音源がひとつもないのは寂しいので、
今回は久がウィーンで師事しようとしたザウアーの演奏をお聴きいただこうと思います。

当時は、テンポを自在に大きく揺らし、
ゆったりとした表情づけの濃厚なロマンティックな演奏が主流でした。
演奏によっては時代がかって大げさに聞こえますが、
ツボにはまると現在でも大変迫力あるダイナミックな演奏に感じるものもあります。
シューマンのピアノ協奏曲などはまさにそういう演奏かと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=bcjimYyhq3k
 
こちらのベートーベン「月光」も、とてもエレガントで自分の好みですね。
https://www.youtube.com/watch?v=DJfnBY00JuM



画像はコンサートで大勢の観衆の前でピアノを演奏する久野久