らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】ブルーノ・レオナルド・ゲルバー ピアノリサイタル 前編





ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調「月光」 op.27-2
            ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 「ワルトシュタイン」 op.53
シューマン:謝肉祭 op.9
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22




自分にとって本当に久々となる本格的なコンサート。
前日ゆっくり寝て体調をととのえ、一音も漏らさぬよう万全な体制で臨みました(笑)

さて今回のピアニストであるゲルバーは、現役のピアニストの中で、

真のベートーベン弾きといえる数少ないピアニストの一人だと思っています。

往年のベートーベン弾きの名手達がこの世を去って久しい今、唯一の存在と言ってもいいかもしれません。
今は何でも器用に弾きこなすピアニストが増えた反面、
特定のジャンルに固執して演奏活動をする職人肌のピアニストがほとんどいなくなってしまったからです。

ゲルバー氏、もともと小児麻痺を患って左足が不自由であるのですが、
中高年になってからの肥満体質もあいまって、
まあ77歳というお年もあるのでしょう、
近年極めて歩行に支障を来しており、介添人を伴って舞台に登場しました。








若い頃はこんなにスリムだったのですが・・・
髪型と眉毛のスタイルは変わりませんが(^_^;)





第1曲目、ベートーヴェンピアノソナタ14番「月光」は、
クラシック音楽に興味のない人でも、そのメロディーを一度は聴いたことのある名曲ですが、
ゲルバーのピアノの音が、ひとたび鳴り出すと、
介添人の肩を借りながらよろよろ舞台に現れた、
大丈夫なのか?という曲前の不安などはどこかに吹き飛んでしまいました。

ピアノの音が鳴り響く空間の、えもいわれぬ不思議な静寂感。

「月光」という曲のタイトルは、ベートーベン自身によるものではなく、
後世の詩人が、この楽章を「湖面の月光」と表現したことから名付けられたものだそうですが、
この静けさは何に例えたらいいのか。
瞑想というには、静寂に人の意思が入り込むものとなり似つかわしくなく、
湖面の月光とは言い得て妙で、
輝く月の光を浴びて下界のあらゆるものが静寂に包まれるというイメージ。

自分も、そんな月の明るい光が下りてくる静寂に浸るような気持ちで、演奏を聴いていました。



しかし、この静寂に満ちた第1楽章の途中で、アクシデントが起きました。


ゲルバーは、何かちらちらと客席の方を気にしている様子に見えたのですが、
突然音楽が止まり、客席に対して何か一言放ちました(@_@;)
それを聞き取ることはできませんでしたが、
まるで鏡のような月の光が映った湖面に小石を落としたような波紋が生じ、
ざわざわと会場がどよめきました。

その後、しばらく間を置いて、
何事もなかったように音楽は再開されたのですが、
実は、クラシック音楽のコンサートではこういうことはあるんです。
昔は結構あって、曲の最初から引き直すということもあったようです。

しかし、一度鏡のような湖面に生じた波紋はすぐに収まるというわけにはいかず、
自分も、ゲルバーのピアノが、いつまた止まるか、いつまた止まるかヒヤヒヤしながら聴いていました。



間の休憩中、どうしてピアノが止まったかについて理由について話を総合すると、
どうも客席のゲホゲホという無遠慮の咳が、
ゲルバーの音楽の瞑想の中に入ってきてしまい、演奏が一時中断してしまったようです。

クラシック音楽、ひいては音楽の演奏会というのは、
音の鳴る空間を演奏者と観客が共有しているものであり、
ですから、私はお金を払って聴くお客、あなたはお金をもらってきちんと演奏する人というものではなく、
音楽の鳴る空間を互いに共有し、それを保つようにしなければならないという意識が必要なのです。


最近、のど風邪が流行っていますので、
咳ひとつ絶対しないというわけにはいかないてしょうが、
今回は、どうも出るがままに、オープンマウスで立て続けに咳をしていた観客がいて、
それが音楽を共有する空間に乱してしまったようです。
やはり、こういう場所では、マスクをするとか、口をハンカチで押さえるとか、

飴を静かに舐めるといった配慮が必要だったのではなかったかと思います。

というわけで、

「月光」第一楽章の静寂な曲想とは裏腹の、聴いていてドキドキの演奏となってしまったわけですが、
ちょっとそれは残念なことでした。


しかし、第2楽章以降のゲルバーはさすがでした。
この楽章は、第1楽章と第3楽章との間に挟まれた可憐な小さな花のようなことを言われ、
比較的地味な扱いなのですが、
ゲルバーは大胆にアクセントをつけて、その音楽の奥深さをえぐり出し、
初めて自分にその魅力を教えてくれました。

そして、やはり聴くべきは第3楽章。
どこまでも激しく、全てが流れ出ずるような激しい曲調なのですが、
ゲルバーが鍵盤たたくと、まるで一台のピアノとは思えない、
オーケストラのシンフォニーのように、荘厳かつ重厚に音楽が多彩に鳴り響きます。
しかも一つ一つの音がクリアに際立って全くうるさく響かない。

ピアノという楽器は、他の楽器にはない多彩な力を秘めていて、
ベートーベンはそれを見事に引き出して曲を書いた。
そしてゲルバーは、ベートーヴェンのその意図に見事に応えた演奏をした。
と言えるのではないでしょうか。



後編に続きます。




ゲルバーの「月光」
https://youtu.be/sLiO5mbpLbk

音楽は百読は一聴にしかず
ぜひ記事に挙げた音楽を聴いてみてください。
本を読みながら、ネットをしながらのながら聴きでいいのです。